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私が情報の教員免許を取ろうと思ったわけ(2)

本校に一人1台のiPadを導入してから先生方への研修を繰り返し、様々なアプリも導入した結果、確実に多くの授業に変化が出ました。プレゼン、ディスカッション、動画作成、一言で言えばアウトプット主体の授業デザインということになります。学校全体がその流れに乗っていくのかと思いきや、3〜4年したら停滞感が出てくるのです。何か物足りないって感じになるのです。授業中、教室を見て回ると元の授業にもどってるじゃん!って感じです。どうした?

ICTを導入して数年は確実に学内の変化が実感できます。私の意見に賛同する先生もそれなりに出てきます。ICTは苦手という先生もそれなりに付いてきてくれます。しかし、同時にこんな言葉が聞かれるのも確かです。「iPadは道具であって使うことが目的ではないから。」私もその意見には別に反論はありません。しかしちょっと待てよと思うのです。こういう発言をする先生の授業は決して褒められた授業ではないからです。ずっと昔から行われてきたやり方。左手に教科書、右手にチョーク、時にくだらない話題を言って生徒の笑いを取る「チョーク&トーク」というやつです。iPadは道具だからという裏側に「使わなくても構わない」という気持ちが混じっていることに嫌〜な感じを受けています。

ICTを導入したのは単純に自分が使って授業をやりたかったからです。でも学校教育ですからそうは言ってられないですね。学校組織としての取り組みにしていかなければという前提があります。これが学校にICTを導入できない障壁になっているのではないか?と私は思っています。もっと自由に使いたい。失敗を恐れずに新しい授業に取り組んで行きたいと思う私ですが、正反対の先生が多いのも事実。そういう先生方をどう巻き込んで教育を変えていくかという命題も大事なのですが、同時に自分の好きに授業をどんどん変えていきたいという心の奥の声も大事です。やれる人はどんどんやったら良い。出来ない人はそれなりで良いと言い切れる教育環境は是認できないものでしょうか。

そんな学校や先生方の状況にモヤモヤしてここまで進めてきました。恐らく他校の先生でも同じ想いを持ち、つらい気持ちになっている先生もいるのではないでしょうか。少し先を進んでいる私からの助言です。「変わらない人はいつまでも変わらないよ。自分の好きにやったらいい。」と思います。そんなに遠慮することはありません。

2022年を迎えても「私、ICT苦手なんです」「ICT弱者です」「ICT難民です」とか言っている先生がまだいますけど、ICTの教育への活用について国の政策として法律にも明記された取り組みが出来ないなら、教師を辞めた方が良いと私は思います。国の方で懲戒処分にしたらどうかくらい責任ある問題です。これから数年の内に教育の出来ない教育者になってしまうなら早々にそんなのとは無縁の仕事に転職したら良いと心の底から思っています。だいたい、デジタル難民っていつの時代の言葉なの?(調べてみて。その人達とっくに社会から退いた年代だよ)

そんな取り組みや思いを重ねて今に至っているわけです。そしてICTに関わって教育をやってきて、最近気づいたことがあるのです。ICT活用の学校教育と言うけれど、情報をある程度身につけた先生方と、全く無関係な先生でICTを実践しようとしている先生では、ICTへの展望というかICTそのものの見方が違うような気がするのです。使っていく先に何があるのか?これって結構重要な事ではないでしょうか。今の学校にももちろん大切だけど、それを使って学んだ子ども達はどういう未来が待っているのでしょう。さてさて、いよいよ次回(3)は私が65歳にして情報の教員免許取得を考えた事について述べてみようと思います。

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