おうち時間に価値はあるのか 『居るのはつらいよ』
うちにいるのが大好きだ。ねこがいて、庭のみどりが見えて、風がよくとおり、足になじむ畳がある。日が長くて、天気のよい日はなおさらいい。部屋からは青空が見えて、とくに人も通らずただ静か。心身の健康を考えると、セオリー的には外へ散歩にいったほうがよいのだろうけど、休みの日は一歩も出ずに、うちのなかですべてを完結させる。
とはいえ、自粛があけて、やはり引きこもっていることにいくばくかの罪悪感が芽生えてきた。この罪悪感はなんだろう。刈っても刈ってもでてくるドクダミみたいだ。生命力が強すぎる。いいの、私はいいの、となにかを振り払って、畳のうえにまるまる。
むこうのイスでは、ねこが前足投げ出して顔をうずめている。彼女はただ、脱力してそこにいるだけだ。うらやましい。私もまねするぞ、今日はなにもしないのだぞ、と逆にりきむ。ただ心地よく、時間を過ごしたいだけなのに。なんだかそれさえも難しい。
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家じかん肯定してくれそうなサイトに避難する。やさしい。でもわずかなことが気になる。
「家で過ごす時間〈も〉豊かに。」なんだよね。
外で過ごす時間が生産的で価値あるもので、家にいるだけの時間、ほら、私だって「いる〈だけ〉」とか言っちゃうけど、ウチの時間は価値が乏しいと思ってしまうのはなんなんだろうなあ。
ウチの時間は、市場経済のソトにあるから無価値だと思っちゃうのかしら。あれかな、『居るのはつらいよ』の話かしら。
この本は思い入れがありすぎて語れなくなっちゃうもののひとつなんだけど、資本主義経済にすこしでも違和感をもったことのある人はまじで全員読んだらいい。
著者兼主人公は、カウンセリングの職を得たかったのに、仕方なくデイケアの心理士として働くことになってしまった京大博士卒臨床心理士。あぁ、デイケアなんだ、つまんなそう、って一瞬でも思った人はみんな読んだらいい(2回目) なんでそう思ってしまうのか、そのカラクリがこの本で明かされる。
物語の舞台は、沖縄のグループホーム。のはずなのに、読み進めていくと、なぜかこの世界を覆い尽くす◯◯という敵が出てきて…という、なんかもうスターウォーズもびっくりな壮大かつ身に迫る話。新人心理士のドキュメンタリーでもあり、ひとりの青年の冒険物語でもあり、博士による学術書でもありというあらゆる側面からとんでもない本。これでいて、ふつーにコントのように笑えるエンタメ小説なのがさらにすごいのだよ…
うめざわ
*「居るのはつらいよ」書評 傷と癒やしめぐるハカセの苦闘 /好書好日
https://book.asahi.com/article/12288515
*人の生き方は4つに大別できる。自らを振り返る“Doing”と“Being”のあいだ──東畑開人×石川善樹×青木耕平 鼎談
https://kurashicom.jp/6424