「俳句と人生」
「俳句と人生」
人生に喩えると「冬」は死期であろうか。
「月日は百代の過客にして行きかう年も又旅人也」
芭蕉の「奥の細道」冒頭の文章である。
四十六歳にして自己の死を見据え、最後の漂白に旅立つ彼の姿が浮かぶ。
或る「祈り」を胸中に託してひたすら歩むべく。
「旅に病(やん)で 夢は枯野を かけ廻る」
元禄七年(1694年) 芭蕉・享年五十一歳
私の私見的考察であるが五七五の短い言葉に含まれた世界観は人生における生老病死、人の人生の変化期、推移を四季に託したものと想っている。故に季語というものは俳句の成り立ちを踏まえていれば自由に表現してもいいと思っている。
所謂、俳句の専門家にしてみれば季語がない俳句などは俳句とは言えぬという見解が多い。
この日本で生じた短い言葉で簡潔かつ見事な俳句表現は世界に類を見ぬ表現形式である。
この俳句表現は外国語には翻訳不可能であろうし、日本民族特有の緻密な心情の精髄を汲み取る精神が無ければ理解する事は頗る難解であろう。
これは芸術表現に属するゆえ、何も外国人に限らぬ問題でもあるが。
いきてある いろいろあれど ぜひもなし
つねならむ よよにいきしに ちりぬるを