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「言動の根拠」

「言動の根拠」


われわれ人間存在は生きている以上、全ての言動には根拠がある。
芸術に限らず生きている限り、誰でも日常的生活において表現している。

特に分野を問わず「芸術表現者」にとって自らの表現に対しての根拠は常に意識化されていなければならぬ。

よく芸術表現は無意識にした方が良いという風潮がある。
画家であれば「言葉は不要」という考え方が多い。
しかし、表現する時には無意識にであれ「言葉」は用いている。
例えそれが「自己内言語」であれ、である。

思考を通して言葉・概念は生じる。
今日の唯物論的世界観が蔓延している時代では「思考」は相対化され、個人の所有物と化している。
さらには、心魂、精神などというものに対しては形而上的、空想妄想の類であると。

このような状況下では真の「対話」など成立しない。単なる衣食住的「会話」でしかない。

所謂、「死ねば終わり」という「生物的生」以上でも以下でもない。

他にも「人間とは本来弱いもの」という浅薄な見解がある。
このような虚無的世界観に呪縛された人物とは交わることの無い平行線の不毛の会話しか出来ぬ。

己の言動の根拠を徹底的に問えば普遍的自己へと至る。
これまた、皆がそうなれば個性が無くなり、人生は面白くないという反論が来る。

人間には煩悩があるから面白いのだ、という人物は「多様性」という言葉を好んで用いる。
さらには、其々の中に世界や神がいる、といった具合に。

一切は相対化され得るのである。
相対的観点は偏見無く観るという一視点にすぎない。
ただ、これもまた「それはお前の考え方にすぎない」といった反論が飛んでくる。
その意味では例外なく、自分の欲するものしか欲しない。

この悲惨な状況は今後も加速して続くであろう。
「汝自身を知れ」とは今日では死語と化している。

各自が自らの言動の根拠を徹底的に問わぬ限り、世界は今後も暗澹たる様相が続くであろう。

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