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氷心臓物語~そまりゆかぬ私vol.4~

22年8月28日 
 今日は壮絶な夢を見たし、なんとなく死にたいと思っている。こういう日に憧れたりしちゃっている人生なので、私は、まだ救済がある。人間失格とか言う小説を書いた人は、入水自殺なんてしたけれども、私のラストは何にしよう。人生なんてどう考えてみても死に方を選ぶゲームにしか感じられない。
 それでも、あの陰鬱な小説が私の希望の光になったように、絶対にポジティブな事だけが正義だとは思はない。何か一方を正義にしてしまうという活動は非常に間違ったことであり、それを無くすという事が唯一のいい事であるように思えてしまって仕方がない。

色々な事があったけれども、私はいつまでも自分勝手で、それでいて人に甘えていてくて、人と関わりたくないのと、心の友を作りたくないのは別な事ではない。

様々な時間を共有して色んな人と関わっていく中で、私が向けられたい優しさや愛を他人に向ける事で私が自分を保ち、ゆくゆくは情けは人のためならずという現象に落ちいり背てゆきたいと強く願う。

 だからこそ、好きな人にだけしか私の本当の感情を使わないということを心に決めている。

話はかなり変わるが私はタイピングが本当に早くなったように感じる。昔、パソコンに文字を打ち込む母の姿を見て何も見ないで恐ろしく早く文字を打ち込んでいてビビるなぁと思ていった。それを今自分で行っているし、自分の中でもすごいと思っていたことがどんどんできるようになっている事を感じる。小さいころから比べて。こんなに生きていたって仕方のない世界で22歳までいきて…今年で23歳になる。はぁ。

 こうやって、文章で自分の事を表現することが好きだと感じてそれを行える環境に今居るという事を幸せに感じるし、自分の事を大好きにも感じる。今までよく頑張った。私の人生に心配するべきことは一つも無いのだからもっと、文字が織りなすまだ狭い芸術の海で溺れないがら海域を押し広げていくことも忘れないようにしよう。

青森な考え(青森と言うのは青森の事を指すのではなくて隠語であると、当時記録した私は述べているが、実際なんのことだか思い出せない。この世の事は素敵だと思う事以外を忘れるようにしているから、正常の反応と言えよう。)
であるからして、別に高架下でも暮らせるし、死ななければいいじゃんとも思う。もっと元に帰れるとボロ家に住む私は思う。これが青森な考えであることはよくわかっている。だが、独自のもので、ヘッセのいう個性であるとも捉えることができる。
 だから、どんな時も大切にするのだ。自分に自信を持つが、表用の私では、その片鱗を見せない事が、大切である。
 そうすることで爆発力が上がり、より愛する破壊と創造に近づく。

こんなことも綴っている。


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