本当に無くしたもの
お年玉を無くしてしまってたいそうショックを受けている
本当は、お年玉よりも大事なものを私は失ったんだと思う。だから、お年玉は姿を晦ます事で私の事を励ましているのだろうなとなんとなく心の隅で思って居る。あの時すぐにお年玉を探さないで、後回しにした私の事を反省するのもいいが、私は自分の事を責めすぎるきらいがある。それに心のどこかではお年玉の事を大事に思って居るというよりはきっと、お年玉と同等なくらい大事だと思っているものに対しての感情の動きをごまかそうとしたのに違いない。
いつまでも自分を責め続けるというのは中々辛いもので、ここで中高の時にバスケットボールをしていて学んだあの切り替えの心を大事にしていきたい。
自分が、今までの人生でせっかく経験してきて得て来たというのにここ数年で私は心が死んだり生き返ったり本当に本当に忙しかった。今はもう24歳になったがよくここまで生き長らえたのだと思う。
去年は一年間多くの人との関わりがあって、心を本当に捨てたかった私の捨てかけていた心を拾って一緒に抱きしめて貰ったのだ。
人の暖かさって体温だけじゃなくてもっと芯の方から伝わるものがあって、捨てる神あれば拾う神ありとまさにこの事。
あ、初詣行かないとな。
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