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「その街のこども」

阪神淡路大震災から30年、この映画が制作されてから15年。
京都では1月17日にだけ上映されていて、昨日私も観に行ってきました。

子ども時代に震災を経験してその後神戸を離れた2人の男女が、15年後の1月16日に神戸で偶然出会い、夜通し街を歩きながらそれぞれが震災という記憶に向き合っていく話。

この映画を観て初めて、私の中の「阪神淡路大震災」に血が通った気がしました。

生まれも育ちも兵庫県、震災のちょうど二ヶ月後に生まれたので「あれから○年」とずっと一緒に年を取ってきました。
小学校では震災教育が毎年行われ、家族に当時のことを聞いたり、様々なテーマで発表をしたり。
「震災」はきっと他府県で生まれ育った人よりもずっと身近にある言葉で、だけれどそれは情報のかたまりだったようにも思います。

命を落とした人、残された人、何かを失った人、得た人。
数字や言葉だけでは言い表せない、そしてそれぞれの記憶はそれぞれの人の中でずっと残って形を変えていく。
それは街がどれほどきれいになったとか、物質的ベクトルの尺度で測れるものではない。

血の通った記憶として、そうかこうやってみんな身の内に何かを刻み込まれながら歩いてきたんだなと思うことができました。
そして、街や人や思い出や、それぞれの大切なものが失われたり、変化したりして、だけれど生きている。
そんな根っこを共有しながら生きてきた人たちに、私は育てられてきたんだな。

映画を観た後、偶然実家に帰ることになっていて。
祖母と二人でお鍋をしながら震災について話しました。
うちのあたりはそんなにひどくなかったから、と言いながらも映画の中のシーンを話すと目を潤ませながら聞いてくれた祖母。

地震発生時刻には、母が毎年黙祷していたことも覚えています。
小さな地震をとても怖がることも。

たとえ関わることのない赤の他人同士だとしても、経験したことのある人にとっては「震災」が一つの共通言語で、
なおかつその中に様々な思いや記憶が無数に存在している。
普段は感じ取れないそんな空気が神戸や阪神間の街には少なからずずっと流れていて、それは確かに人々や、その人たちに育てられてきた私たちの中にも、そこはかとなく移っているはず。

そんな風に思いながら、お風呂から上がって自宅へ帰るほかほかの祖母を見送り、足元で寝そべる我が家の老犬を触り。
節目の日に一人実家にいる不思議を思いました。
我が家のわんこのにぶい鼻にも、私が感じた空気は届いているかな。
いや……うん…。



元々はNHKの特集ドラマだったそう。
劇場版に再編集されて、毎年関西圏のミニシアターで上映され続けています。
「その街のこども」
機会があればぜひ。


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