ぜんぶ、月のせいだ
あの、オオカミ人間って、いると思いますか?
何の話だと思われるでしょう、私もちょっとこれを上手く説明できる言葉を探しながら書いているのです。
月の満ち欠けに左右されて、自分で自分をコントロールできなくなる。
女性はよく言いますよね、月のリズムで生きているから感情や性格が影響されやすいと。
つい先日の中秋の名月の日。
日中の私はそれはもう異常事態でした。
湧き上がる感情をどうにも抑えられず、おかしいくらいに涙が止まらない。
さみしいや悲しい、心細い、フラストレーションなどならば十分理解できます。
「やだ人並みに女子w」
と一人で笑って済ませられる不安定さなのですが。
その時の私が心の底から思っていたことがこちら。
「みんなどうかどうか、幸せでいて」
それはもう耐え難い空腹感を抱えて「もう無理お腹空いた!!!」とへたり込まざるを得ない時くらいの不可抗力感で、自分では一切歯止めがきかないのです。
頭を抱えながら「みんな…幸せでいて…」と泣いている自分にうろたえる自分。
あれは一体何だったのか。
前回、我が家の北の方とのことをnoteに書きました。
(https://note.com/umenomi_shinkyu/n/n82285cd6e5a2)
えらく個人的な独り言を書いてしまったなぁと思っていたのですが、それを受けての感想を、思いがけず数人の方からいただいたのです。
どれもその方にとって大切な記憶や意志や言葉たち。
めっぽうやられてしまったんです。
心の底から嬉しかった。
言葉にして伝えてくれた事柄たちは、別に一生誰にも伝えなくても良い、自分の中だけで大切にされていて良いものだったと思うのです。
だけどそれを、「私はこうだったのですよ」と私に見せてくれた。
それがもう、息が詰まるほど胸が苦しくなるほどありがたくて。
息が詰まり胸が詰まった結果、
「どうかどうか幸せでいてほしい」という全方位的で強烈な祈りとなって噴き出した、のだと思います。
少し前まで私は、「あなたにとって幸せって?」と聞かれると
「私の周りの人が幸せであること」と答えていました。
「でも、あなたは?」と聞かれるとよく分からなかった。
今は少し違います。
大変なことは多かったけれど、今までずっと幸せに生きてきたと実感を伴って口にできるし、今も変わらず幸せ。
多少の浮き沈みはありますが、日々幸せに生きられている。
なので、私が幸せであることは揺るがない前提として、周りの人が幸せでいてくれることが何より望むことなのかな、と解像度が上がりつつあります。
それにしてもあの日の勢いは凄まじかったですよ。
「幸せ」って、ひとりひとりみんな違うものだと思います。
だから「こうあって」と望むことはできないけれど、とにかく、
「私に関わる全ての人も、出会ったことのない人も、今を生きる人も、過去にいた人も、この先産まれてくる人も、みんなみんな幸せでいて」
と、どうしようもなく湧き上がってくる熱い思いに泣きながら、もはや半笑い。
「ついに頭おかしくなったみたい」と言う私の話を聞いてくれた友人たち、本当にありがとうございました。
夕方近所のお店のおじちゃんが、横断歩道を渡ってくる私をわざわざ待って「こんにちは!」と声をかけてくれてひしひしと幸せになり。
夜にへろへろとお月見に繰り出して、静かに雲から出たり入ったりする月を見ながら、心穏やかに「みんなが幸せでありますように」とつぶやける位には回復。
その後家族と電話で他愛もなく話して、加茂川のほとりでひとり栗餅にかぶりついて全回復。
「ほんと、凄まじかった…」と余韻をかみしめて今に至ります。
激情は去りましたが、心の奥底には今も変わらずその流れが流れています。
今日も、明日も、みんな、どうぞ幸せでいて。
月を見すぎると気が狂うとはよく言ったものです。
狂気的な祈りを、みなさんにお裾分け。