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港の人、船の人

「俺は旅人だから、安心して帰りたくなる港になってよ」
あはは、こちら大昔にとある人から言われた台詞。
いや、ずいぶん勝手なこと言ってくれるわねと当時思いました。

私は昔から「良い奥さんになりそう」「良いお母さんになりそう」と言われがち。
そういう言葉はありがたく笑顔で受け取る反面、一体何を投影されているんだか、と頭の後ろの方にハテナを飛ばしていました。
三歩下がって男を立てて、あたたかく家で待っていてくれる。
ひかえめで優しい大和撫子。
いうなればこれが「港の人」でしょうか。

対して「船の人」はどうだろうか。
「俺は旅人」と言った彼は実際にバックパッカーでしたので、身一つでぽんと外へ出てしまう人。
旅が多い人に限らず、アクティブで変化を恐れない友人を見ていても、「船の人」だなと思います。
自分で航路を切り拓いている人。
私の希望を入れても良いのならば、「船の人」は自分で自分のことを信じて生きていこうとする人。

かつて「港の人」側に見られることの多かった私は、いつの間にか「船の人」要素の強い人間になったと最近思います。
職業的には「港の人」または灯台のような側面も強くあります。
言うなれば我が鍼灸室はあなたのドックです。
けれど生き方で言えば、自分自身と足並みそろえて、沖へ出ようと頑張る小舟。
たった一人の私と、行けるところまで行ってみたいという、大和撫子の皮を被った革命乙女なのです。

そしてどんな人間も、「船の人」にも「港の人」にもなれるのではないだろうか。
「俺は船、お前は港」
端的なその言葉に港要素一色だった頃の私が、それでも引っかかったのは、「君の役割はこれ」と一方的に言われたからだったのではないかしら。
今の私は思います。
船であっても港であっても、そこには唯一絶対の信頼が必要。

船の信頼は、自分自身に対する信頼です。
一度海へ出てしまえば、あとは自分のことを心から信じて進むだけ。
周りにどう言われようが、決断して舵を切るのは自分だから。

港の信頼は、この人やこの事に対する港であろうと思える、まず対象への信頼が不可欠なのではないかしら。
相手はここに帰ってくるのだときちんと信じて、待つ。
でも実はそこにも、相手を待つと決めた自分を信じるという重大なステップが存在します。

港も船も、自分自身をきちんと信頼するところから。
それを経て、船の人でありながら、この人の港でもありたいと役割を持ち合える人を見つけられたら。
そんな素敵なことはないですね。
それはパートナーであろうが、友人であろうが、家族であろうが、同じことです。
私は私の船でありながら、あなたの港でもありたい。
そう思える人が、この先の人生で増えていきますように。

つまりは「俺の港になってくれ」はやっぱり無理です、圧倒的に視野が狭い。
私は船であり、私のための港であり、大切な誰かのための港でございますので。
あしからず。

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