見出し画像

いちごロールケーキとスクラム

ロールケーキが食べたいな、と思っていたんです。
自分の思うまま、好きな分厚さに包丁を入れられるロールケーキ。
どのくらい食べたい?って聞きながら。
少し元気がない友人と一緒に食べたくて。

お店のウインドウには、プレーンと、いちご入りがありました。
悩みどころです。
このいちごは不可欠ではないけれど、どうかしら。
順番待ちの間かなり真剣に悩んで、いちご入りを買いました。
二人の間のお皿の上で、ぽんと赤い色に緊張感無く笑っていてもらおうと思って。

ぽつぽつと話をしながら、ロールケーキに包丁を入れました。
やわやわのスポンジの真ん中のいちごのおかげで切り分けにくいったら!
一切れずつね、と分けて食べていたら、これ二人で全部いけるね、と友人。
嬉しい言葉だったな。
今日はいっぱい食べても良いよね、と言いながら元気よく残りのロールケーキは切られていきました。

友人の話を聞き、私の最近の悩みも聞いてもらいました。
いかに良く生きるかを何より大切にしていたくて、けれどもそれを胸を張って言うことが許されない環境もある。
特に生きてきた年代や、その人が何に価値や評価軸を置いているかが深く関係します。
何をz軸として、何をy軸とするかがまず異なる相手とは、なかなかに苦しい会話になる時があります。
(zとyは今日覚えた概念。ちょっとおぼつかない。)
そしてそうなった時、圧倒的多数派に属している意見の方がより強く聞こえて、ちっぽけな暮らしと幸せにこだわっているこちら側はなぜだか言い訳しているようにしか言葉を発せなくなってしまう。
相手の評価軸で見れば、こちらは評価対象にすら当たらなかったりするのです。

ここでへこたれるな私の自意識、と思うのですが。
そもそも同じ幸せの上にいないのだから、私は私の思う軸の上を移動していくのみなのですが。
それでもやっぱり、たまにとってもしおれてしまいます。

そんなこんなを聞いた友人は、そうだね分かる、と言って、
「少数派は少数派で、こうやってたまにスクラムを組まなきゃ」と言いました。
ああ、心強い言葉でした。
ロールケーキ美味しかったね、と言うと、いちごが甘かったね、今の季節はまだハウスだろうから、農家さんの力だ、美味しいいちごだよ、と。
しばらくいちご談義で盛り上がって、誰に何を言われようと、この感覚で日々を生きられる友人が、私はやっぱり好きです。

白いお皿に白いクリームのロールケーキ、より、ぽちっと赤いいちごがいてくれて良かったな。
友人を心配して会いに行ったけれど、いちごと言葉に勇気づけてもらったのは私の方だった。
スクラムを組んでくれてありがとう。

かつて日本海側の雪国を生き抜いた先輩として、その日友人から教えてもらったストーブの上での焼きみかん。
ぐっと冷え込んだ京都で、今朝やってみました。
あたたかいみかんの想像がつかなかったけれど、湯気のたつひとふさずつがとっても美味しかった。

私たちのやり方で、これからも豊かに生きていこうね。

いいなと思ったら応援しよう!