31.なにもかも忘れたい。 非日常な時間が大事だった頃
仕事を始めて1年が経って、慣れてきた頃。
年度が変わり、新しい営業目標が設定された。
1年目に調子が良かった私は、高い目標に苦戦していた。
““弱い自分が出てくると、連絡をしたくなるのは、やっぱりY。 当時の手帳にも、仕事を始めて1年位経った頃から、またYと会うことが増えていた。””
と同時に、Yとは、永遠の片想いだろうという割り切りがあったから、出会いの場にも積極的に行っていた。
(↑このつづき)
さらに、父親が癌であることが分かり、余命半年と宣告された。
心が揺れ動き、家族や父の為に時間を使いたい自分と、
忘れて一人になりたい自分が共存していた時期。
定期的に会って楽しい近況報告をしていたYとの時間は、私にとって、大切な時間だった。
また、この頃に私をすごく褒めてくれて、会って話すたびに元気をもらえる存在も現れて、その人とも定期的に会っていた。
さらに、お互い一人じゃ行きにくいお店を探して、行きたいお店を見つけると連絡して、一緒にディナーする友人もいた。気軽に誘えて何でも話せる男友達。終電ギリギリまで話して、終電過ぎたときには、車で家まで送ってもらっていた。おしゃれなレストランにたくさんいった思い出がある。
この頃の私は、この3人の存在があって、心揺れ動くこの時期を乗り切ったと思っていて、感謝している。
なんでもかんでも参加していた頃に比べたら、家族の時間も増えた分、
取捨選択をしつつ、会いたい人には会って、誘われたイベントも選んで参加するようになったのもこの頃から。
誰かと会う時間を、非日常な時間にしようとしていた。
父親や家族の未来を考えると、どうしても、やりきれない気持ちに押しつぶされそうでになってしまうところを、非日常な時間が、その時間だけ忘れさせてくれた感覚。
そして、そんな時間が私の生きる時間のバランスを保ってくれていた。
限られた時間を、誰といるか、何をするか考えながら予定を入れていた。
恋をすることよりも、非日常な時間を過ごせる人に頼っていた。
そして、この頃の学びとしては、
今までは、時間があれば、誰かと会って、イベントに参加をしていたから、自然にいつも顔を合わせるメンバーはいて、仲良くなっていた。
でも、限られた時間で、連絡を取りたいと思う人、連絡をくれる人は、そう多くないことに気づいていた。
友達・仲間が多い錯覚があったけど、そうではない。
自分が大切にしたい人は、自分から大切にする行動が大事だと学んだ。
私が今よく言っている
「応援する・される関係」
も、人類全てそういう関係になりたいとは思っていない。
「応援したいと思う人、応援したいと思ってくれている人」それが、
相思相愛だと最高!と思う。
丁寧に過ごしながら、私は、周りにいる人と響き合って、磨き合って、そういう関係を増やしながら、深めながら、生きていきたいって思っている。