おくりびと
若いころ…子供ができるまでの職業は看護師だった。
看護師は国家資格なので、
今でも看護師ではあることはかわりないのだけど
仕事はしていない。
昨年年末に、新しい年を気持ちよく過ごせるように
ヒーリングとリーディングを受けたのだけど
ヒーリングの方もリーディングの方も、
伝えてくれたことに共通点があった。
二人の接点はないので偶然だけど、
こういうことって偶然ではないのだろう。
私は…完璧主義らしい。
私の中の完璧主義なところというのは、
看護師時代の仕事のやり方が起点になっているらしい。
細やかに、慎重に、狂いなく、きっちりと、しかも手早く…
患者さん、ドクターの声にこたえてゆく
かゆいところをピンポイントで手早く効果的に掻いて行く
そんな仕事のやり方
そういう仕事のやり方が必要とされている世界だから
それが当たり前だったし、間違えたりしたら、命に係わる。
だから、すべてにおいて「完璧」にしないと、
「完璧」が普通の職場だった。
三つ子の魂百まで
というけど
仕事も、一番最初に身に着いた仕事のやり方が意外と
後々までしみついていたりする。
占星術のリーディングも、占星術を使ったワークショップ、
場づくりでも、そこまで、完璧にする必要はないらしい。
「完璧にしよう」というところにエネルギーを使うのはもったいない、
もっと、自分の中からあふれ出すエネルギーを大切にしたほうがいい
そこに使うエネルギーを他にまわせるはず
とアドバイスだった。
なるほどな~と思いながら、
看護師いというよりも、
医療従事者や介護のお仕事の方もそうだと思うけど、
そういうお仕事がどれだけ神経を細やかにして
心を込めて、身体をはってやっていることが
外側の世界には伝わらなくて、
不愛想だったたとか、冷たい対応だった…というところのほうが
伝わってしまったり、
心から関わって、親切にしすぎると、頼られすぎて、疲れてしまったり、
わたしのように二度と看護の仕事に復帰することがない看護師がたくさんいる。そんなことをぼんやり思い出していた。
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話はかわるけど、
ここ数年、同年代の友人の
お父様が亡くなったりお母さまが亡くなったという話をよく聞く。
その話の中で、「おくりびと」のお仕事に感動したという話も
聞くようになった。
お亡くなりになった方の身体を清めて、着替えさせて、綺麗にして送り出す
その工程、所作は見ているほうも浄化されるようで
SNSでも、感動したという記事をいくつか目にしたことがある。
ご遺体がご家族の元に帰るまでの間に、
病院では、
生命を保持するために使われてきた管の数々を抜き取り、
身体に固定されたテープをはがし
「よく頑張りましたね、お疲れ様」と心の中で語りかけながら、
身体が固まる前に手を組ませ、
身体を綺麗に拭いて、白装束に着替えさせることを、
看護師さんがしている。
それは「当たり前」のことであって、
表に出ることもなく、人から感謝されることでもない。
「おくりびと」に感動した話を目にして、
それはそれで素晴らしかったんだけど
自分の中で違和感というか…
実は同じようなことをしているんだけどね…って
浮かばれない気持ちが湧いてきた。
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どうしたら自分の中の完璧主義がほぐれてゆくのかよくわからない
実は…それどころか、
みんなもっとすごいじゃん、わたしなんかまだまだで
もっと完璧になりたいくらいに思っている自分もいるくらいで
つくづく重症だな~って思う。
看護師という仕事はあこがれだった。
看護師をしたら、もっと人の役に立てるんじゃないかって思っていた。
でも、現実は、ちがっていて
自分には向いていないと思ったから…すっぱりやめたつもりでいたけど
自分はダメだった。人生を無駄にした。
というたぐいの挫折感も…ないわけでもなく…
看護師時代の心の傷とか疲労感とか
身に着けて来た癖みたいなものが
今になって痛みとなって浮上してきている…
もっと認められたかった
もっと、感謝されたかった
誰に…?多分自分に…
白装束を着たお化けとなって
私の前にふわりふわりと現れてきている
痛みの記憶
おくりびとだったら…
どうやって旅立たせるのだろうか…
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