梅芳として言葉を発信する勇気
気づいたら2025年になっていました。
12月31日からこの3日間感じていたのは強い孤独でした。
元々、私の人生で文章を書かないでいないことがあまりなかった。
私の人間的な評価とか交流の基盤って「シナリオライターである私(梅芳)」が前提な気がする。
元々やっていた同人に関しては数が少ないのか多いのか分からないけど、2000人のフォロワーでおさまっていた。
文章を書くことで自分の存在価値が許されている気が常にしていた。
たぶん、これに関しては直らないんじゃないかと思う。
なぜか、私はこどもの頃から物語を書くと人から褒めてもらったり、注目してもらえることが多かった。
そして、大人になってシナリオライターとして今は年数相応程度にはスキルと実績を磨いてきたと自負している。
でも、自分の作品に関しては23歳から世に出したことがないことに気がついてしまった。
昨年、知り合いの編集さんに読んでいただくための企画書、手持ちの文章で応募した新人賞。
私が壊滅的に小説は書けないのは分かるけど、この3日間はずっと小説を書いていた。
それでnoteに浮上していなかった。
というか、梅芳という人格に対して期待している人間っているのか?と思う。
私のつくった梅芳というシナリオライターの女性はあまりにも人間っぽかった。
最近は、キャラ感を維持できなかったけど、梅芳はずる賢いし、よく皮肉を言う。
でも、比較的純粋で自分がこうなりたいと思う女性像を人格に反映している。
私は最近、ひとりの私を殺してきた。
もう不要な人格だからだ。
少ないのか多いのか分からない2000人のファンがいるただの同人女の私。
その人格の私は言葉があまり達者ではなく、よく人と衝突をしていた。
気にかけてくださった方もいると思う。
でも、私が常にランカーだったり、数字を多くとる文字書きでなければ、だれも注目などしてくれないほどにつまらない文章を書くし、プロになったと報告してからははりのむしろのような場所だった。
もうこの私はいらないから、消したけど、未だに友達がこの名前で私を呼ぶ度に傷つく。
3人目の私。
1番、付き合いが長いはずなのに、最近になってようやく理解できてきた気がする。
誰でもない私。ただの私。本当の名前で生きている私。
1番、臆病で常に人の顔色をうかがっている。
本当は人と仲良くしたいのに、文章を書かない私には価値がないと思っているので、どうにも積極的になれない。
やっと、好きな人にはワガママを言えるようになった。唯一。
今日、久しぶりに誰でもない私を呼んでみて、好きな人に連絡をとってみた。
そのときだけは素の自分を出せているようで安心した。
まだ私は私を殺していない。
同人女をしていた私はもういないし、梅芳の存在価値も限りなくもう不要だと思っている。
というよりも私があの世界に戻ることが怖いのかもしれない。
仕事の名義は3人目の私の名前で書いている。
だから、いまさら梅芳がこの世から消えても、変わらずに私はシナリオを書くだろうし、きっとどこかで私の文章を誰かが読んでくれる。
私の評価軸が他人であることが分かったのだけど、こどもの頃から文章を書いていたのは必ず喜んでくれる誰かがいたから。
本当に嬉しかったのだ。
そのときは無価値な3番目の私でも誰かの役に立てることができる気がして。少しおこがましいか。
最も、その時々の名前は過去に殺してしまった別の人格の女性なわけなのだけれど。
だから、もういない人間だ。
でも、私は何回も私を殺して、生まれ変わって物語を書いてきて今に至る。
3日間の作業スケジュールはこうだ。
プロットを書くのに1時間
1万字の短編小説の執筆に2時間
推敲は工数を落として2回だから30分ほど。
特に物語の時系列は考えずひたすら、書いている。
その時間は楽しい。
人生の大半を過ごしてきた私の残骸と過ごしてきた時間だから馴染みがあった。
でも、名前を変えて文章だけを書くのが私なのに、今は文章を書かなければ存在を認められない私という人間にとても辛さを感じている。
彼に対して、何も飾らない私でいるときは安堵を覚える。
でも、その他の人間に認めてもらうにはきっと、シナリオライターの私でなければ存在を許されない気がする。
こんな人間らしいジレンマを抱えたのは、生まれて初めてな気がする。
ただの私でいたいのに、きっと多くの人間はただの私を見てくれない。
経験則で分かっている。
でも、それが今は悲しい。
だから年明けからは梅芳としての近況を書かなかった。
でも、本当に私が文字を書く人間として生まれた頃に見た景色もこうだったのかもしれない。
奇しくも今、私が13歳のときに生み出した物語の断片をちまちまと書いていた。
書いているものをどうするのかはわからない。
でも、好きなものを形にするのは楽しい。
職業的に許されない気がするけど、有り体の私とその物語を見て欲しい気がする。
でも、そんなワガママ、通じるのかなと思っている。
梅芳は死ぬかもしれないし、死なないかもしれない。
ただ、梅芳の悲しみは目に余って、最近の私は梅芳のことは放っておいている。