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4回目の精神科入院(日記)

一人暮らしはまださせてもらえない、でも実家にいることはできない、ということと、
多分私の頭がイカれ散らかしていることが理由で、7月30日から4回目の精神科入院生活がスタートした。


人生で初めて精神科に入院した時は、
まさかこの後3回も入院することになるとは夢にも思っていなかったし、退院したら(自然と)まともになって治るものだと思っていたのだが、
私の残念な頭は治ることがなく、今回もまたほぼ無理矢理精神科に閉じ込められることになった。

今回の入院は初の精神科単科病院なので、
今まで(大学病院や総合病院)とは違い、部屋の壁はボロボロ、シミだらけでなんなら穴が空いているし、ベッドの柵もないし(寝相が悪いので困る)、部屋に机も椅子もないし、ゴミ箱もないし、冷蔵庫もテレビもなく、今までの入院生活がいかに恵まれているものだったかということを思い知らされた。

また、食事はみんなで一緒に食べなければならないし(よくいえばハリーポッターみたいな感じ)、トイレも共用だし、古くて汚くてとにかくしんどい。本当に全てにおいて古いので、病棟内に獣のようなにおいがするエリアがある。

流石に病院で獣の匂いを嗅いだことはなかったのでとても驚いたし、慣れるまでにやや時間がかかった。

一瞬、悪いことをして刑務所に来たのかな?
と錯覚してしまったし、何よりネットで刑務所で画像検索したところ、刑務所の方が綺麗だったので流石に泣きたくなった。

でも、泣いても喚いてもジタバタしても私は外には出られないし、帰る場所もないので、
じーっとぼーっとして耐え忍ぶしかなかった。

家に帰れたらどんなに良いだろうって、ここで生活をしない人生だったらどんなによかっただろうって、落ち込んでも現実は変わるわけではない。

本当は私をこういう風にさせた母親が入院するべきだよ!他人に暴力を振るう人間の方がおかしいよ!!と思っても、精神科を受診したことすらない母親に診断がつくわけでもないし、傷害で罰せられることもない。


ただただ傷ついた私だけが閉じ込められるだけである。なんて理不尽。


いま世間はどうやらお盆らしく、病棟内でも比較的社会的な患者はみな外泊をしており、自分を含め本当に社会で生きていけない人間だけが病棟に居残っている感じがある。(失礼)

オリンピックを他の患者さんと共に眺め見ながら、自分たちは社会から隔絶された存在であるということを改めて思い知らされた。

退院の目処もいまいち経っておらず、また、
あるはずだった社会生活をぶったぎってしまったため、退院したあと、何から順に元に戻していけばいいのか、どのようにして生きていったらいいのかがわからなくなってしまった。

人生において、やりたいことと、実際自分がやれること、それから精神の具合の3つの丸が重なる部分が一体何なのかがわからない。

やりたいことはあっても、やりたいことを実現するために努力をしても、いつもパニック発作やらフラッシュバックやら抑うつに邪魔をされてしまう。
本当に理不尽だし生きづらい。

健康だった時は、私の"人生障害物走"には
まだ障害物が登場すらしていなかったんだなと、痛感した。

今では、巧みな障害物が盛りだくさんだし、バカな私は全てに引っかかるし、なんならリタイアしたいくらいである。

人は何かを失って初めてその重要さに気づくという愚かな生き物だということは自覚しているし、だから当たり前にある日々を大切にしないといけないことはわかっているのだが、
失って初めて、直接的にも間接的にも(想像の及ばない部分で)、いかに"当たり前に存在するもの"の恩恵を受けていたかがわかる。


だからきっと色々失った今でも私の手の中にあるのを本当に大事にしないといけない、ということはわかるのだが、なかなか難しい。全部放り投げてしまいたい。ダメだけど。


昨日も今日も明日も多分相変わらずモヤモヤして過ごすことになるし、理不尽は理不尽なままだし、社会とか嫌いだし、オリンピックもムカつくし、青空を見ては腹を立てているし、なんだか生きるのって無理!という感じだが、とりあえず明日も生きます。おわり。


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