精神科入院5ヶ月目、前進?(日記⑥)
6月に入院してから既に5ヶ月が経った。
もう指を折って数えるのを忘れるくらいの時間が経った。
実際もう、日付などにはこだわりがなく、さらには誕生日も年越しも病棟で過ごすことになるので、noteで表題をつける時以外は数えるのをやめようかと思う。
5ヶ月間入院するのは初めてなのだが、ありがたいことに何不自由なく過ごすことができている。
(というのも精神科入院自体が4回目なので慣れているからというのもあるが。)
ただ、物理的に不自由はなくても、精神的な不自由というか、病気の症状がやはり、まだまだ出てしまい、精神的にしんどい思いをすることが多々ある。
それ故に薬が増量になり、今では精神科の薬を毎日8種類飲むようになった。
流石に多すぎる自覚はあるが、私が快適に過ごすためには必要な量らしい。
薬もだんだん強いものに変わってきているので、副作用がひどく、特に口腔乾燥や目の乾燥に悩まされることが多くなった。
一言で言えば、目、砂漠。
目薬をさしてもさしてもすぐに乾燥してしまい、ヒリヒリ痛む。
口の方は人工唾液的なものを使って唾液を作っている状態である。
なんとも生きづらい。精神疾患の生きづらさに比べたら全然マシだが、生きづらい。
そして、増薬をしたにも関わらず、調子が悪く、夢うつつの状態でフラッシュバックを起こして、ベッド上で吐いてしまったり、はたまた、起き上がれず昼ごはんを全く食べられなかったり、なかなか治療がうまくいかない。
治療が頓挫しているわけではないが、slowstepという感じだ。
2回目の入院あたりから、治すために本を読んだり、看護師さんに"上手く生きるためにはどうしたら良いか"とか、"私のダメなところ"を率直に言ってもらい、それに対する改善策を考えたりなど、自分なりに努力を重ねてきたが、うまくいかない。
その上に、仲良い看護師さんに、「頑張りすぎているよ、その努力自体をやめてみたら?」などと助言されたりして、だんだん訳がわからなくなってきた。
治療における正解が何なのか。
無知な私は何もわからない。
そうしてだんだん、「生きるのが下手だから治らないんだ。」とか、「もっと上手く色々なことをこなせていたら病気だってきっと治っていたはずなのに。」とか、そういう自責の念に苛まれるようになった。
自分の頭が悪くて、馬鹿だから治らない。
不器用だから、何もできないから、治らない。
そう考えていたら涙が溢れてきて、でもそんなのダサいから拭いて、なんともないような顔をして、入院生活を送ってきたけれど、心の悲しみや苦しみのコップが溢れてしまって、診察の時に初めて泣いてしまった。
精神科に通って4年目、初めて先生の前で泣いた。
今までは誰も何も信頼できず、涙を流して、悲しみや苦しみを訴えることもできなかったし、涙を流せるくらい感情的にもなれず、どこか冷めている自分がいたので、涙を流している自分に驚いた。
恥ずかしながら、人前で泣くのも人生で2回目なので、泣いたらどうなるか基本的に知らない。
ので、人前で泣くと声や手が震えるし、言葉が出ないし、涙はとめどなくこぼれてくるし、なんか恥ずかしいし、でも何処かに確固たる安心感があるということがわかった。
大人だから。成人だから。仕方ないから。
みんなきっと"そう"だから。
そうやって封をしてきた悲しみや苦しみは、いつの間にか心の中で腐っていって、そのことを知っていながらも、前述(大人だから〜)の理由で、誰にも話したりしなかった、自分の本当の悲しみをたくさん伝えた。
迷惑かもしれないけれど、でも、「いいよ、感情を出してもいいんだよ、出した方がいいんだよ。」という先生の言葉に甘えてしまった。
わからないけれど、本当は抱えてはいけない(ことはないけれど、自分的にはNGな)感情を初めて外に出せて、今なんだかスッキリして落ち着いて眠たくなっている。
また解離についても話した。
やっぱり私は「解離」を起こしているらしく、
(いつから発症したのかはわからないが)
本来の私とは似通っていて、微妙に違う"私2"が確実に存在するようだった。
本来の私なら言わないようなことを言ったり、やらないようなこと(Aラインをぶち抜く)をしたり、あとなんかおやつを爆買いしたり、作り置きをたくさん作ったりしている。
どれも全く記憶がなく、本当に私がやったのか疑いたくなるのだが、全て私がやっているらしい。
怖い。
でも、その「解離」とやらは人間が生きるために必要なもので、例えば強いストレスがかかった時に自分を守るために、自分から、自己感覚?を切り離して、ストレスや外敵から心を守る防衛機能らしい。
私の場合は、変なタイミングで解離が起こってしまったり、フラッシュバックを起こした際に解離が起こってしまうのが問題なのだが、「先生にどちらとも大切な🍑🐻❄️ちゃんで🍑🐻❄️ちゃん自身なんだよ。」と言ってもらえた。
私はふたつだけどひとつらしい。
私1は私2と交流はなく、私2についてはなんの情報もないし、何も知らないのだが、私ふたりが友達になれたらいいな!と思っている。友達作るの結構得意だし。
あと、中高生の頃の私が気持ちを押し殺し続けたから、こうなってしまってすごく後悔している、という話をしたら、「押し殺していなかったら、🍑🐻❄️ちゃんは確実に死んでいたよ。今ここには存在していなかった。」と言ってもらえて、驚いたし、悪い行動だと思っていたものが、生きるためには実は必要な行動であったと、少しだけ胸を張れた。
ほんの少しだけ、ね。
中高生時代、こうやって気持ちを押し殺していたら、いずれ鬱になるということは、正直わかっていたのだが、まさかこんなに早くなるとは思っていなかった。
現実は思っていたより甘くなかったけれど、
今日は自分の感情をうまく出せたし、不安に思っていることも、辛い気持ちも吐き出せたし、精神科通院4年目にして、前へ少しだけ進めた気がした。
これは今まで丁寧に関わってくださった看護師さん、先生、今の先生のおかげ。
私の力だけではどうにもならなかったと思う。
たくさん死にそびれて痛い目を見て傷ついたりしたけれど、今日だけは傷も愛せるし、前を向けるなと思った。