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言葉に出来たことをゴールにするのではなくて

『考え続けられる人って強いな。
その強さは優しさでもあると思う』

最近、好きな著名人のインタビューを読み漁ったり、本を読んだりする中で、そんなことを思い浮かべました。

私の憧れるのは、考え続け、学び続けている人たちだなと。

インタビューを読んだり、エッセイを読んだり、小説を読んだり。

私は、誰かの思考に触れることは、自分と向き合うことに繋がっていると感じています。

物語を楽しみながら、またはその人に感銘を受けながら、いつも結局最後は、“対自分”というか…

そんな“対自分”な時間を過ごす中で、ひとつ自分自身について見直さないといけないなと思ったことがあり、この場所で整理整頓したいなと思いました。



私は言葉や文章が好きです。読むのも書くのも。

さっき書いたように、本やインタビューなど、他者の言葉を読むことで、心のぐちゃぐちゃをほどかれるような感覚になることもあるし、
自分自身で、心の中で彷徨っている感情を言葉や文章という“形”することで、今しているみたいに整理整頓されて、何度も救われてきました。

素敵な言葉を紡ぐ人や美しい言葉遣い、面白い言葉選びをする人に強い憧れを抱くことも多いです。

一方で、全てを言葉にしたいとは思っていなくて。
言葉で片付けたくない感情もあると感じています。

その思いは確かにあるのですが、
自分と向き合う中でふと、

「私は言葉にできたことに満足してそれをゴールにしてしまっているのではないか?」
と思ったのです。

言葉ってものすごく強力な力を帯びているから、言葉にした途端、それ以上の答えを求めなくなる。

そんな風に思っていました。

そういう言葉の面も勿論あると思うのですが、

今までの私の場合、
「(言葉にできたことの)満足感でいっぱいになって鼻高々、それ以上は考えません」
みたいになっていることに気付いたんです。

言葉にすることがゴールになって、思考停止していたんです。

それは違うなと思ったのです。

私は考え続けられる人になりたいし、日々学んでいたいです。

思考停止状態になりがちな自分の癖に気づけてよかった。


今日書いている文章は、あくまでここ最近の私が感じていることを書き記しているだけなので、自分でもまだごちゃごちゃもやもやしている部分はあるのですが、吐き出さずにはいられませんでした。

もしかしたら、意味不明な独りよがりな文章になっている可能性もあるのですが、現在地として残しておこうと思います。

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