無理をするということ

今日は仕事中に耐えられなくて号泣し、1日中泣いていた。
この1ヶ月、職場で様々なことが起こり、毎日のように寝る前に涙が止まらなく、なかなか寝付けない日々が続いている。
そんな中でも、職場では泣かないと決めてきたので、耐えられなく泣いてしまった今日を深刻に受け止めている。

JTC勤務には共通するかもしれないが、年功序列がかなり強いため、若手の離職は少なくない。
ブラック企業で労働環境が悪い、給与待遇が悪い、残業が多い、叱責されるなどの問題とは少し違う。
もちろん日系大手企業でも、上記の理由で辞める人は多いかもしれないが、少なくとも私の勤務先は違う。
給与待遇も良いし、福利厚生も整っている、残業も多くない、叱責するような上司や先輩はいない、意地悪するお局等もいない。
しかし、なぜこんなに若手社員が蝕まれていくのだろうか。

若手の離職は少なくないとは言ったが、我が社の離職率は本当に少ない。
会社全体でも、辞める人は少ないゆえに、中途社員はかなり珍しい。
まさに、終身雇用を体現している会社なのだ。

そんな中、私が配属された支社の若手は次々と辞めていくのである。
その理由の1番はやはり、JTC特有の年功序列型社会にある。上の者は絶対。
若手は上の者に搾取される一方。
そして、同調圧力、出る釘は打たれる、体育会系的な上下関係、保守的な考え方…
様々な理由があるが、若手が潰れてしまう構造なのだ。

出来なくても出来ると言う。やるしかない。
大丈夫?と聞かれたら、大丈夫じゃなくても大丈夫と言う。
要らない、無駄だと思ったことでも全部やる。
自分の意見は通らなくて当然。言う権利すらない。
などなど、とにかく上の者達の顔色を伺ってやる仕事しかない。

新入社員時代から、先輩達が上の者たちの機嫌を異常に取ったり、媚びたり、無理難題も全部嫌な顔せず、反発せずに受け入れていたことが疑問だった。
エレベーターでボタンを押すのを代わらないと陰口を言われるし、日本の古風な常識から少し外れたような発言や行動をするだけで白い目で見られる。
私なら、やらないしやりたくない!自分に正直に生きよう!と思っていたが、この文化は私が思っている以上に頑なで、反発するだけ無駄であった。

仕事なんて生きるためのものなのだから、休んでも辞めてもいい。仕事のために自殺してしまうってどういうこと?と学生時代思っていた。
しかし、今ならよく分かる。
人はよく無理しないでね!と言うが、日本社会では休んだり、辞めたりすることに怠惰・弱いというイメージが未だにある。

これ以上仕事を任せられても出来ないということや、自分では能力的にやり遂げられない仕事もある。しかし、圧力によりYesマンにならなければいけない体制なのだ。
また、仕事に行くのが億劫でも、泣いてでも、会社は絶対に行かなければいけない場所だ。
休んではいけない。

いつからこんな精神論的な考えを植え付けられてしまったのだろうか。
欧州留学で、出来ないことは出来ないと主張し、休む大切さを学んだはずだ。
今は全く反対の考え方だ。
この考え方でなければ、この組織の中で生きていけないのだ。

しかし、そろそろ限界なのだろうか。
支社内の若手の離職は私の心を蝕む。
これが、東京本社勤務だったならば、沢山の同期や家族友達に「うちの会社古臭くてさ〜」なんて不幸自慢していただろう。
しかし、私の心の支えであった唯一の同期や歳の先輩達が大量に退職することを受けて、
ああ、私は福岡で本当の意味で孤立するのだ。
辞める人の皺寄せは全て自分にくるし、若手はタダの駒。同情してくれる人はもういない。
きっと、若手がたくさん辞めても何も変わらない。
そんな未来が見えてしまっているからこそ、追い詰められてしまう。
明日も仕事へいく。何もなかったように。
休むのは悪。そんな植え付けられた概念から離れることはできない。
地方配属がなくても、仕事は辛かったかもしれない。
けれども、この孤独は仕事のキツさを倍増させる。
東京に帰りたい。せめてみんながいる場所に。
仕事がキツくても帰る場所があれば耐えられるのに。
正しくは、休みたいのではなく帰りたいのだ。
福岡に罪はない。
ただただ、自分のホームで傷を癒したい。
ただそれだけ。

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