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ジョーカー フォリ・ア・ドゥの結末について思ったこと言わせてください。

まず最初に。
結末に笑ってしまった。自然と最高の笑みが溢れてしまった。

あ、余裕でネタバレあるのでご注意を……。

今作は日本公開前からマイナスな意見が目立つ印象がありますね。
◆一作目だけでよかった。むしろ一作目の信者を馬鹿にするような意図を感じた。
◆何をしたいのかわからなかった。そのため退屈に感じた。
◆あくまでもジョーカーの続編なのでバットマン要素が薄くなったように感じた。

後々になって普通には自分の勘違いで撤回することになるかもしれないけど、僕はとりあえず今の段階では最高でした。

なぜかと言うと僕の中で辻褄があったからです。

ネタバレを含みますし、高まったテンションのまま書きなぐるので記憶違いとか余裕であると思いますが、とにかくうおお!! というこの気持ちを書かねば気が済まぬ済まぬのだ。という気持ちだけで書いているのでご注意ください。
ただの勢い。

ジョーカー2を観て、え…まじ?これで終わり?なにこれ?ってなった方がもしいればこういう解釈もあるので読んでくれると幸いです。
あくまでも僕個人がそう感じたという話です。はい。


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今作の超ざっくりしたあらすじ

気弱で優しい売れないコメディアン、アーサーがよどんだ社会(ゴッサムシティ)で足をくじかれまくり、ジョーカーという人格が形成されついに覚醒した前作。
現在は精神病により、施設で隔離されて生きている。
そんな中、ハーレイと出会ったことで人生有頂天。誰も俺に関心してくれなかったけど、この娘だけは俺を見てくれる! 理解してくれている!
ああ!このために生まれてきたんだ!

ハーレイ「おもてたんと違うかも。バイバイ」

死。


まぁこんな感じ。

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退屈に感じる理由は…

これは恐らく情景の変わらなさが大きく関係しているのだと思います。
場面は閉鎖された施設、もしくは法廷。と基本的にはこの二つを行き来するだけなので大きな場所の変化は最後の脱走を除きほとんどありませんでした。

しかしながらこれは終盤の解き放たれたぞ!という解放感にむけてカタルシスを感じるものであり、それが意図的なものだと感じました。

それまでのはむしろ暗く閉鎖的な空間の中だったので、より鬱々した空気を感じれたように思います。

また前作と比較して、大きな変化と感じる場面が少ない(弱い)というのも一因かなとも思いました。
一作目はフラストレーションが溜まっていくような話運びでいつそれが爆発してもおかしくないぞ! といった緊張感もありましたね。
それがラストの混沌から生まれるジョーカーのシーンをより強く印象付けたのだと思います。

だからと言って今作が退屈だったかというとそうは感じませんでした。
今作は自分が何者であるのか、気弱で優しい一面を持つアーサーなのか、施設外に溢れかえる信者たちが望むジョーカーなのか。
それが主軸でしたよね。ハーレイという自分を理解してくれる人間が現れて、
本当の自分はこうだったのかもしれない!
本当に自分になれる!
 
と裁判を繰り返す度にジョーカー的な一面を見せていく過程は非常に有意義であったと思います。

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ミュージカル…だと?

これに関してはもう最高でした。
人は誰しもご機嫌になると歌いたくなるものですよね。キッチンのお母さんしかり、風呂場で歌う少年少女しかり。
何かのいいことあったの? 今日はご機嫌だね。
といった具合に。

ただそれだけのことなのです。
アーサーは有頂天なわけです。頭のなかで歌が流れ始めるんですね。

曲だけみれば王道ミュージカルでもおかしくありませんが、その周囲、現実で起きていることから解離しておりそんなところがとてつもなく狂気を感じるわけです。
狂人たちの物語ですからね。

個人的には狂人さが引き立つ良い選択だと感じました。


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最高にバットマンを感じた

前作では現実の社会的で生きる僕たちや、そのほかたくさんの人々がアーサーに共感したのではないかと思います。それこそが大ヒットの要因であったとも思います。

そんな信者とも言える人々を一蹴するために今作の結末は知りもしない、誰でもない男にアーサーが刺されて終わったのではないか。
と感じた方もいらっしゃるかもしれません。

ん? 知りもしない、誰でもない男に…?

この結末こそが最もバットマンを感じ、僕が笑みを浮かべた瞬間でもありました。
むしろバットマン要素の塊だったのではないでしょうか。

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ジョーカーに過去なんかあってええんか?(過激派)

例えば超ハイパーヒット作、ダークナイトを思い返してください。
あのジョーカーとんでもなく狂人でしたよね。めっちゃ怖かったですよね。

なぜ怖いのか。

それはきっとこいつが何者なのかわからないからなのです。
何を考えているのか、どういう生い立ちでなぜこんなことをするのか。意図が全く見えない。
だからこそ次に何が起きるのかがわからない。

わからないから怖いのです。

ダークナイトでも散見されましたが、ジョーカーの記憶は妄想である、もしくは混合しているという設定があります。
ダークナイト版でも彼の言う過去のエピソードは毎回違っていましたよね。

つまるところ本当に何者なのかわからないのです。

純度100%の狂人。
ゴッサムの警察やマフィアたちが彼を恐れているのは腕っぷしが強いからではないわけです。

バットマン(89)は例外です。
あれはしっかり過去エピソードありました。

しかしながら89年版がレアケースなだけで様々なメディアを見てもジョーカーとはそういったキャラクターなのではないでしょうか?

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アーサーという人物を見てどう思いましたか?

可哀想だなって思いませんでしたか?
報われてほしいなと思ったりしなかったですか?

先の項目に少し戻りますが
「ジョーカーって過去を明かしてええんか…?」というのが一作目公開時の僕の率直な気持ちでした。
底の見えないキャラクターだからこそ魅力があると思っていたので、これまでの制作サイドはそこを避けてきていたイメージもありました。
なので「正気か? やるのか??」と思いました。

いざ見てみると
アーサー? お前アーサーって名前だったのか…。
おい…アーサーなんて可哀想なやつなんだ…
となりました。

これは致し方なし。
ジョーカー爆誕はこの街、ひいてはお前らの責任でもある!と。

■一作目の結末

混沌とするゴッサムシティ。その路地裏でブルースの両親は暴徒と化した市民によって殺害されてしまいます。
これでバットマン誕生が確定。…したのですが…

ちょっと待ってくれ、バットマン間に合わんくね?
今から成長したとして…あれ? むしろジョーカー年老いて無条件勝ちできるんじゃね?

■ジョーク…だったのか?

これは当時、あの結末についての考察で
あれは本当にあったことだったのか、それとも妄想(ジョーク)だったのか。
という話がされていました。

当時見かけたのは、すでに老い気味のジョーカーとブルース(後のバットマン)の年齢が合わないという点などなどを鑑みて
『…というもろもろでバットマンが誕生したとしたら…いいジョークだ』という考察をよく聞きました。
いや最高の考察かよ!! と未だに思います。

でも、もしこれが妄想だけでないとしたら…


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今作で感じた違和感

とにかくアーサーってやつはサムい人間なんです。
彼は目立ちたい(見てもらいたい、注目してほしい)と思っていて、話の中心でありたという気持ちが強いように感じました。
特にそういった一面では、対人経験の少なさから空回っている部分が多く共感性羞恥を感じる場面もありました。

とことんサムいやつという感じであんまり空気が読めない。
だからこそ常人ではできない場面でジョークを言い放ち、自分に酔いしれた姿を見せられることができる。
それがアーサーが狂人である由縁とも言えます。

このサムいやつという、現実との温度差がわかっていないような感じは特に今作で強く感じました。
ずっとすべってるんですね。すっげえサムいやつなんです。
でも信者たちが彼を崇めるんですね。
だから本当に滑稽に見える。

それが見ていてとても違和感がありました。

そしてハーレイとの関係性もです。
僕のイメージではハーレイが熱狂的な信者であるはずが、むしろ今作ではアーサーを手のひらの上で踊らせているような印象があります。

そうです。むしろハーレイのペースに巻き込まれていたんですね。

この2つはめっっっっっちゃ違和感がありました。
最初に書いたように、これはあくまでもジョーカーの続編だからこのような描き方になっているのかなとも思いましたが(むしろ流れとしては自然)、ラストシーンでその理由がわかりました。


あ、違和感というと
バットマン…? 今なにしてる? 来れる?
結構大事になってるけど…。

という部分も。

そうかこの世界バットマン居ないのか??
あ、前作を踏まえるとあれは妄想(ジョーク)じゃなく、まだ誕生していないのか…?

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アーサーとは何者なのか

ここまで書いていけばもう想像できると思います。
アーサーはジョーカーではなかったのです。

誰でもいいです。自分の好きなジョーカーを思い浮かべてください。

そのジョーカーは檻から放たれて自由になったとき、安息を求めるでしょうか?

答えはNOです。それは最悪が解き放たれてしまったと同義であるはずなのです。
しかしアーサーはそうでありませんでした。彼は法廷でジョーカーではないと言い、外へ出たときに求めたのはハーレイ(自身の理解者)との安息だったのです。
そう、私はあなた以外なにもいらなかった! と言ってのけるわけですね。

つまり!! そんな人間がジョーカーであるはずがないのです。
可哀想な人だ…それは怒るのも無理ないよ…と我々が理解できる人間が『あの』ジョーカーであるはずがないんですね。

最後のハーレイの答えはそれなんだと思います。
いやお前はジョーカーじゃないな…って。

あと真に理解し合えるのはバットマンだけなので(過激派)
キリングジョーク読んでほしい。


得体の知れない悪意。素性のわからない男。
ではなくてこれはアーサーなのです。悪意なんてないし、素性もわかっています。

アーサーが法廷を出たときに彼を助けてくれたジョーカーの姿をした若者たちのシーンがありましたよね。
あそこがすごい印象に残ってるのですが、というのもあまりにもジョーカーとかけはなれた姿のアーサー(いつもの衣装でもメイクもしっかりしていない)がおり、立ち居振舞いすらもジョーカーではない、アーサー本人というような印象を受けました。
それと対比するかのように、もう薄目で見たら完全にジョーカーの若者。

これは恐らく結末に繋がる意図的なものだと思います。

そして最後、ジョークを聞いてくれるかと男が話しかけます。
そのジョークの終わりに、アーサーは腹を刺されて絶命。

つまるところボールはすでに転がり始めているわけで、アーサーが生んでしまった影響は伝播してゴッサムシティはより混沌へと向かうわけです。

まさしくフォリ・ア・ドゥです。タイトル回収なわけです。

ドラマ『ゴッサム』でもそういった街と犯罪の変化というのが描かれていましたね。
抑圧され汚職にまみれ陰鬱とした社会で精神の形が押し曲げられ、犯罪の形が少しずつ変わっていく。
マフィアの抗争が終わると蓋が空いたように歪な犯罪者たちが溢れ出し、ゴッサムシティは混沌を極める。
ルールを無視した存在以外この街は制御できない。
つまりバットマンなくしてこの街はもうどうにもできないのです。

…バットマンもこの街の被害者なわけですが。


今作のラストはこれから始まる壮大なバットマンの世界に繋がってくのでしょう。
いつの日かこのゴッサムシティという混沌から真のジョーカーが生まれる…はず。

それはアーサーを助けたあの若者かもしれないし、アーサーを刺したあの男かもしれない。
とにもかくにも、誰も知らないところから真の狂人がやって来る日も遠くはないでしょう。
ハーレイもまた自分の理想であるジョーカーを探して施設に戻るのかもしれません。

そして前作で登場したブルースがもし本当にあの年頃なのだとしたら…

アーサーという一人の男が生み出した狂気が更なる狂気を扉を開けて、街は変わっていく。
ブルース・ウェインも。

バットマンの物語がこれから幕を開けていくのだと思います。


昔にこんな記事書いてました。

それではまたどこかで…。

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てらきたかつき☆
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