001 ALS診断をうけました
はじめまして、mieと申します。
2024年5月14日に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の診断をうけました。1977年生まれの46歳、小学2年生の息子と夫と三人暮らしです。昨年まではジョギングや水泳、子供と一緒に走ったりスキーをして遊ぶことを楽しむ、動くことが好きなママでした。2023年春にペンのキャップをつまんで開けることができないなどの左手の脱力を感じ、その前からたまに呂律がまわらない症状があり、老化とか疲れとかそんなものかと思っていました。バセドウ病の投薬治療を終えたタイミングだったのでその影響かなとも思っていました。
しかし、症状は徐々に進行ししてゆきました。2023年秋から脳神経外科、整形外科、脳神経内科の順に受診し、今回の診断となりました。今の私の症状は、左腕左手の脱力、構音障害、嚥下能力の低下、徒歩・会話時の息切れ、全身の筋肉のぴくつきと睡眠時の筋肉の硬直です。6月までは通勤もしていましたし、今も家事はすべてしています、子供と一緒に走ったりする遊びはできないけれど、場に一緒にいくことはできます。不便ではあるけれど、日常生活はできています。
きっとそうなんだろうなと思いながらの診断前2ヶ月は息子のことをおもうととても苦しくて、一人になると嗚咽しながら泣きじゃくってしまう日々でした。しかし、診断後は、今すべきことをするために、息子のためにも自分ひとりでかかえこまず、息子にはじじばばもお父さんもいる、と、前向きに考えられるようになりました。
現在北東北に住んでいますが、夏休み中に千葉の実家の近くに引っ越します。実家の父母は後期高齢者、子の世話をお願いすることはできないけど、心の支えにはなってくれるし私が不調のときは一緒にいてもらうこともできます。今後必要となる私の介護は100%プロにお願いするつもりです。夫はしばらく単身赴任ですが、今もほぼ不在なので現状どおり、家にいるときにあったかいお父さんをしてもらいます。
この1か月で、しゃべりにくさと脱力がだいぶ増しましたが、リルゾールは副作用で中止、ラジカットは千葉でスタートする予定で、症状の進行に不安もあります。しかし、息子の学校も習い事も遊びも、日常生活は当たり前だけど「普通」にあります。引き続き前向きにできることをできるだけやっていこうと思っています。
数年内に、死ぬか生きるかの選択をしなくてはいけません。現在の主治医には、「生きる選択をする場合は「家族」が24時間介護しなければならない。」と言われました。本当でしょうか?もちろんあらゆるシーンで私の存在は家族の大きな負担となるでしょう。けれど現在は、先輩方のご尽力で、「家族以外」の24時間介護を受けられる制度(*障害者総合支援法>重度訪問介護)があります。この制度を利用することを前提に、生きることを選択するつもりです。 視線でPC操作をできる時代、人と関わり、仕事を持って生きてゆきたいと考えています。
息子は自分のことは自分でできる立派な7歳児になりました。お母さんが大好き、甘えたくて仕方ない気持ちと、かっこいいとこを見せたい気持ちがいつも背中合わせの7歳。優しくかっこよくお母さんのお手伝い頑張るといって布団の準備をしてくれる、ねんねのときは「ぎゅーして」とにこにこ。今は穏やかに明るく、息子と過ごすことを最優先したいです。5年後にはきっと、良い意味でお母さん離れするときがくる。その先は、あらため自分と向き合いたい、しっかり考え続けたいと思います。