またひとつ歳を重ねて
今日、33歳になった。
実は夫も誕生日が同日であるので、ふたり仲良く歳をとった。
朝から互いにプレゼント交換をし、昼はランチに出る予定である。
12月には子どもが生まれているはずなので、こんな優雅な誕生日を過ごせるのも今年で最後だろうなあとしみじみしている。
32歳から33歳にかけての最も大きな変化は、なんといっても妊娠したことだろう。
結婚した当時は、子どもを欲しい気持ちはほとんどなかった。
機能不全家族で育ち、アダルトチルドレンである自覚もあるじぶんにとって、「子ども=母親の犠牲によって成り立つもの」という観念が強かった。
自由でいたい。
子どもに人生を奪われたくない。
妊娠したらお先真っ暗。
そんな自分本位な「守り」の姿勢もあったし、(仮に妊娠したとしたら)生まれてくる子どもを憂える気持ちもあった。
「普通」からズレているじぶんが、子育てなんてできないだろう。
うまく愛してあげられずに、子どもを不幸にするだけではないか。
我が子が同じように、アダルトチルドレンになってしまったらどうしよう。
そんな不安で固まっていた。
ただ、やはり生物的な本能なのか、ないものねだりというやつなのか。
結婚して一年、二年と経ち、35歳のリミットが見えてくると、なんとなく焦りが出てきた。
このままで本当にいいのか。
歳をとってから後悔するんじゃないだろうか。
義両親は(もうちの親も)なにも言わないが、心の底では子どもができない私を嫁と認めていないんじゃないか。
そんな不安と世間体に駆られ、妊娠・出産・育児について調べまくった。
調べれば調べるほど不安と恐怖に憑りつかれ、夫に泣いて喚いて当たり散らしたことも数知れず。
(アダルトチルドレン克服のためにカウンセリングを受けていたので、余計に精神が不安定だったこともある)
だが、あまりにも調べ尽くしたせいだろう。最後には疲れ果てた。
夫との結婚生活が軌道に乗り、おおむね平穏になってきたせいもあるかと思う。
徐々に「やっぱり、子どもが欲しいのかもしれない……」と考えるようになり、いちど自然に任せてみようと決めた。
二、三年、タイミング法だけやってみて、それで駄目なら縁がないということで諦めよう。
もしくは、気持ちが変われば不妊治療も考えてみよう。
そう決めて、夫と自己流の妊活を開始した。
そうしたらなんと、今年の3月末に妊娠が発覚した。
妊活を始めて数か月しか経っていなかったので驚いたが、思ったよりも恐怖や絶望感はなかった。
ホルモンのせいかもしれないが、むしろ妊娠前より精神は断然落ち着いていて楽である。
むろん、これからの出産・育児を思うとやっぱり恐い。
産後はまた精神がボロボロになって、夫との関係もズタボロになってしまうのではないかと危惧している。
それでも、たぶん胎児は縁あって私のところに来てくれたのだろう。
どれほど子どもを望んでも、不妊治療を頑張っても授からない人がいることを知っている。
そうした中で、ひょいと来てくれた胎児である。
きっとなにかしら縁があって、必要があったから我が家に来てくれたのだろうと思う。
その奇跡的な確率を思うと、おのずと、運命とか神様みたいな「大いなるもの」にこうべを垂れずにいられない。
これから先、実際に子育てをしたら疲れ果てることも多いだろう。
つい、「この子がいなければ……」なんて闇落ちダークサイドな思考に囚われる日もあるだろう。
それでも、「きっとなにか必要があって来てくれたんだ」と感じた思いは、なるべく忘れないようにしておきたい。
危うい境界の向こうへ落ちきる前に、なんとか踏みとどまれるように。
妊娠中という、おそらく一生に一度あるかないかの誕生日である。
こうして改めてじぶんの気持ちをふりかえり、覚え書きとして残しておきたいと思う。
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