- 運営しているクリエイター
記事一覧
多羽(オオバ)くんへの手紙─35
(2,688字)
結婚を機に激務だった仕事は辞め、しばらくのんびりと過ごしていた。
最後の一滴まで絞り出すような働き方から開放され、日曜夜の憂鬱を感じなくても良い生活は快適だった。夫はとやかく言う人ではなかったけれど、ずっとこのままのんびりと暮らしていくことは自分の性に合わない。
久々の求職活動の後に採用された職場が、ストレスを感じたり私生活を侵食されることも無い職場だったことは幸運だった。
多羽(オオバ)くんへの手紙─36【終】
(1,728字)
「水澄、あんた何かアレやな、地獄少女みたいやな。」
真っ赤な色無地の着物を着た私に、笑いを堪えながら明里が言った。
共通の友人の結婚式に招待され、久し振りに顔を合わせたが話し出すと昔に戻ったようだ。
結婚式に招待されたはいいが、何を着ていこうかと困るのはよくあることだが、私には母が遺してくれた着物があり、不自由したことはなかった。
「地獄少女、ちょっとそこへ立ってみ。写真撮
多羽(オオバ)くんへの手紙─34
(1,885字)
いつからか、起きている時間の大半を仕事に費やす生活を送っている。
仕事帰りの飲み会に誘われても、そろそろ会も終わろうかというような時間にようやく顔を出す、というのが普通になっていた。
恋人との付き合いも、隙間で何とか遣り繰りする有様だ。
こんな早い時間に仕事が終わったのはいつ振りだろうか。
帰宅ラッシュ時の電車に乗るのは久し振りだ。
真っ暗な夜更けの街を歩くことに慣れきってい
多羽(オオバ)くんへの手紙─33
(1,599字)
お鈴に会うのは久し振りだ。
私達は社会人となって数年経つ。
短大卒のお鈴は私より先に社会に出て、今や立派なOLさんだ。
お鈴の仕事はシフト制で、土日が休みの私とはなかなか予定が合わなかったのだが、やっと休みが取れ会う約束が出来た。
土曜の朝といっても昼に近いような時間帯。
駅前を走る車もそんなに多くない。
こんな天気の良い日には誰もがもっと朝早くから出掛けるのだろうか、そんなこ
多羽(オオバ)くんへの手紙─32
(2,155字)
青春病には時間が最良の薬。
完治してからずいぶん経った今となっては、母と概ね良好な関係を築くことが出来ていたが、言われれば言われるほど遠ざけたくなる天邪鬼は未だ健在だった。
「水澄、ホンマに要らんの?一生に一度やのに。」
ここ数ヶ月、いやもっと前からだ。
母から幾度となく尋ねられてきたのは成人式の振袖のことだった。
独身の間は着られるといっても、そこまで出番のないようなも
多羽(オオバ)くんへの手紙─31
(1,224字)
狭い地元だ。そこらですぐ会うだろうと思っていたが案外会わないものだ。
むしろ電車通学をしている者同士が駅で顔を合わせることの方が多かった。
電車通学の朝は早く、帰りも地元の高校生とは時間がずれている。
1日のほとんどを地元以外で過ごしているのだ。
中学の延長のような多羽たちと偶然会うはずもなかった。
電車に揺られながら、ユーミンの「卒業写真」が頭の中で流れているようなセンチメ
多羽(オオバ)くんへの手紙─30
(1,735字)
何かが始まりそうな予感がするほど清々しい朝。ずっと遠くにあると思っていた、卒業の日のしんみりとした気分が少し和らぐ。
『終わり』と『始まり』はふたつでひとつ。
もう少しだけここに居たいとお願いしても
「すぐ後ろに『始まり』が来ているからもうここには居られないんだよ」と
時間が言う。
***
教室前の廊下に、式の会場となっている体育館へ向かう卒業生が並んでいる。
もう既
多羽(オオバ)くんへの手紙─29
(1,647字)
ヤマギワと多羽どちらで呼べばよいのか。
私だけでなく「みんなはどうするんやろ?」という空気が漂っていた。
「オオ…とっと、ヤマギワ。」
思わず言い淀んだ私に「多羽でええで。」と言った顔は、いつもの落ち着く、父に似たそれだった。
どれほどの複雑な思いがあったのか分かるはずもないが、多羽と呼べなくなることに一抹の寂しさを感じていた私は不謹慎にもホッとした。
✳✳✳
「ミスミ
多羽(オオバ)くんへの手紙─28
(1,168文字)
頬に触れる空気がずいぶん冷たく感じる季節になった。
風がコロコロと枯れ葉を転がしてゆく。
赤いマフラーは校則で禁止されていたけれど、
真っ赤なマフラーをした小石くんが校庭を横切って行くのが見えた。
2学期もそろそろ終わりに近づいている。
✳✳✳
私の目には、多羽はいつもと変わらない様子に映った。
多羽がつとめてそう振舞っていたのかもしれないし、私が鈍感過ぎたのかもしれない
多羽(オオバ)くんへの手紙─27
(1,366字)
理数系の科目のように答えが1つしかない問題を解くのが好きだ。
パズルのピースを組み合わせるように、1つしかない答えを導き出すのは楽しく達成感がある。
ただ、何度やっても理解できないものがあった。
いったんは分かったような気になるのだけれど、しばらく経った別の日に再度解いてみようとするとやっぱり分からない。
諦めが良すぎるのは良くなかったのだろうが、出来ないことに時間を費やすよ
多羽(オオバ)くんへの手紙─26
(2,244字)
体育祭が終わり、2学期も折り返し地点だ。
冬の制服だけでは少し肌寒い季節になり、受験生がピリピリし始める時期に差し掛かってきていた。
母から「浮ついて」などと言われたが、私の成績は一向に下がることはなく常に学年の上位五指には入っていただろう。
元々さほど努力せずとも勉強は出来たし、することも苦にならない。
「浮ついていようがいまいが関係ない」という母に対するメッセージだった。
多羽(オオバ)くんへの手紙─25
(1,855字)
運動会のお弁当にはいつも必ずエビフライが入っていた。
真っ直ぐでないクルンクルンに丸まったエビフライ。
憂鬱な運動会で唯一楽しみだったのは、母の作ってくれるクルクルのエビフライだった。
大人になるまで、エビフライというのは丸まっているものだと思っていたし、今でも真っ直ぐにする必要なんてないと思っている。
✳✳✳
青い龍が大きな爪で如意宝珠をガッシリと掴み、ギロリとこちらを睨
多羽(オオバ)くんへの手紙 ─24
(1,528字)
朝晩の空気が少しひんやりと心地よく、冬の制服が似合う季節になった。
体育祭の準備は順調に進んでいた。
体育祭は赤・白・青・黄・緑・紫の6色に団分けされ、色団対抗で競い合う。
各学年6クラスあるので、1年1組・2年1組・3年1組が赤団という縦割りで、私のクラスは青団だった。
色をテーマにした絵を描くのは各団の3年生の役目になっていて、その美術監督を徳ちゃんが担当していた。