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多羽(オオバ)くんへの手紙

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生涯青春病が書き散らかしています
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多羽(オオバ)くんへの手紙 ─1─

初夏の陽射しに少し汗が滲む。 「夏服・冬服どっちを着てもいいよ」という衣替え猶予期間の今は 冬のセーラー服、学ラン、夏の白ブラウスが交じり合う。 私 –– 羽田水澄 –– はサッサと夏服に衣替え済みだ。 だが中学生男子はカッコつけたい、イキリたい生き物のようだ。 暑さを我慢しギリギリまで、冬服の学ランを着る。 見ている方は暑苦しいが当人たちにしか分からないポリシーがあるのだろう。 グラウンドで遊んでいる他の生徒を眺めながら、休憩時間をぼんやりと過ごしていた。目で追うほど好意

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─2─

多羽はいつも男子といた。2人の時もあれば数人でつるんでいることもあった。件の女子2人組に纏わりつかれているのも偶に見かけたが、特に気にもしていないようだ。 向こうは羽田水澄という存在すら知らないのに、いつからか‘’多羽に纏わりつくんじゃないよ‘’と今にも言ってしまいそうな自分のバカさ加減が恥ずかしくまた笑えた。 多羽到。姉と2人姉弟。野球部。以上。 多羽のことは気にはなっていたが、何をするというでもなく中学最初の1年が足早に過ぎていった。 ✳✳✳ 学年も上がりクラス替え

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─3─

貴代先生は、担任が女性の体育教師だったためウチのクラス付きになったようだ。多羽の姉、貴代のいる学校生活に緊張していたのはおそらく私だけだっただろう。 多羽はモテそうなタイプではなかった。 当時はチェッカーズが大人気、不良マンガが流行っていたこともあり、可愛いいか、ちょっと悪そうなタイプの男の子に人気が集中していた。 野球部で坊主の多羽はもれなく非モテであった。女子にはかなり奥手だったようだが、今思えば多羽が好きだったのではないだろうかと思い当たる女の子がいる。 *** 小

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─4─

貴代先生が教室にいることはほぼ無かったが、昼休みにはウチのクラスに戻ってきていた。 仲良し数人で集まってお昼を食べるグループがいくつもあり、貴代先生は日替わりでそれらのグループを巡っていた。 今日は私たちのグループへとやって来た。 お鈴と私、他2人の4人グループの番だ。 「上村さんやんな?ウチの近所の」 貴代先生が複数の地雷を踏みながらにこやかにお鈴に話し掛けた。 私は気が気ではなかったが、本人から聞いてもいないことを説明することもできず黙っていた。 「引っ越してん。今は小

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─5─

多羽の出る試合を一度だけ観に行ったことがある。 お鈴に「坊主はいらん」と一蹴され、別の野球好き2人と観ることになった。 練習試合ではあったが、相手チームには野球の強豪校から声が掛かっているという子がおり、私以外の2人はその子目当てだった。 KK(桑田・清原)が甲子園を沸かせていた時代。 周りの子たちはみんな清原派だったが、私だけは桑田派だった。 この日はたまたまエースが故障で投げられず、本職はサードの多羽が先発だった。 私たち3人はバックネットから見ていた。 ***

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─6─

貴代先生の実習期間が終わった。 私は運動神経が絶望的だったので、貴代先生が多羽に話していたらと思うと暗澹たる気持ちになった。 どうか私のことなど全く忘れていてほしい。 そんな気分とは裏腹に皆夏休み前のフワフワした空気が漂っていた。 私への多羽いじりも一段落した頃だった。 *** 羽田家は両親、中2の私、小5の弟の伊織、小3の妹の賀子の5人家族だ。 子どもたちはその日の学校での出来事や友達の話などを、我先にと両親に話すような家庭だった。 伊織や賀子が喋りまくった後、私も

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─7─

あれから母とは特に変わらず普通に日常生活を送っていた。 本人は言ったことすら忘れているだろう。 ああいった悪気のない言葉は、時に人を傷つけることもあるが 私は「もういいや」という気持ちになっていた。 なろうとしていた。 一方、父に対しては母とは違った感情があった。 父親というより同志。 中学生が、同志がどんなものを指すか理解はしていなかったであろうが、シンパシーを感じていたと言えばよいだろうか。 ボワっと大きくなった炎も、また遠くでぼんやりと灯る小さな明かりになっていた。

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─8─

夏休みという非日常はそれなりに私を楽しませてくれた。 甲子園での高校野球観戦。 お鈴と行ったプール。 ただ、心の隅にはいつも日常に戻りたい自分がいた。 私が戻りたいのはどの日常だろう。 窓辺に寝そべりながらボンヤリと考えた。 ずっと見ていた雲が少し探さなければならないくらい流れていた。 *** 昼休み明けの少し冷えた椅子にゆるゆると腰掛けた時だった。 隣の席の柄本が真っ青な顔で額に脂汗を滲ませ、苦悶の表情を浮かべているのが目に入った。 「顔が真っ白やん!どうしたん?保

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─9─

朝の空気に金木犀の香りが漂う季節。 なぜ秋はこんなにもスポーツイベントが多いのだろう。 体育祭に球技大会。 私のように運動の苦手な人間は、何とも気が重い。 唯一の楽しみは多羽の活躍だった。 多羽は運動神経が抜群に良く、走るのも速かった。 野球以外の球技も上手く、この季節の申し子のようで羨ましく眩しかった。 やはりそういう男子は目立つ。 普段は坊主の非モテもそれなりにカッコよく見えてしまう。 私が拾って大切にしまい込んでいた綺麗な石を、誰かが見つけて持っていってしまった

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─10─

「ミスミーン、これ!」 お鈴が笑顔で駆け寄ってきて律儀に年賀状を手渡してくれた。 肌を刺すような空気の冷たさが少しだけ柔らかくなる。 「今年もよろしく」 ちょっぴり照れくさい挨拶で始まる朝も、すぐにいつもの会話となり、 やがて興味もなさそうな地味なあの子や いつもワルぶっているあの子も 皆が気になるあのイベントの話題になる。 「上手くいくミライ」だけを想像して 時には気重になったり、ワクワクしたりして過ごすバレンタインデーまでの1ヵ月。 「ミスミンはさ、多羽にチョコ

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─11─

「アンタ、ちゃんと羽田さんにお返ししたん?もうホワイトデー過ぎてるで」 姉の貴代から言われるまで忘れていたわけではない。 オカンと姉ちゃんと+1。 身内の義理チョコにお返しなどはしないが、+1には何かした方がいいだろう、と考えてはいた。 クラスも違う柄本の隣の席のあの子。 好き嫌いに関係なくお返しするのが礼儀だと貴代には言われたが、 結局何も出来なかった。 好きも嫌いも、名前しか知らない相手にどう対応すれば良いのか分からないまま 礼儀知らずにまでなってしまった。

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─12─

セーラー服の袖に腕を通す3回目の春。 真っ新でもなく スカートのお尻や上服の背中がこすれて少し光っていたりするけれど クリーニング帰りのパリッとした相棒が 「また1年付き合ってやるよ」と言っている。 肩先にヒラリと落ちて来た桜の花びらを 少し眺めてフッと吹いた。 ひらひら、ゆらゆらと風に舞ってどこかへ飛んでいく。 のんびりと正門をくぐると、クラス編成の貼り出してある窓の辺りが 生徒たちでごった返していた。 窓の外側に貼り出されている「○年○組 担任:○○」とそのクラス

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─13─

その日の食卓は最初から不穏な空気が流れていた。 珍しく早く帰宅した父も一緒の夕飯。 何かの引っ掛かりで父と母が言い争いになった。    私がそんな言い方何時した?    したやないか。ネチネチと。 始まりは本当に些細なくだらないことだっただろう。  静かな海が次第に荒れて来て 小さかった波が大きくなって海鳴リ出す。 不安気な顔付きの伊織と賀子は箸が進んでいない。 私は平静を装い無言で食事を続けた。    「何やのよ!」 母の甲高い声と同時にほうれん草のよそわれ

多羽(オオバ)くんへの手紙 ─14─

新学年の始まりは、たいてい50音順の座席だ。 まずは隣の席、近くの席。同じ班。 そうやって徐々にクラスが出来上がっていく。 多羽の席は私の前方対角線上にあった。 私は教室の後ろ扉から近い席。 汗だくの多羽が席に着く。 始業前にグラウンドでサッカーをするために 野球部の多羽は奇特にも毎朝早くに登校していた。 朝起きるのがやっとの私とは真逆のタイプだ。 汗だくの背中に張り付いたカッターシャツ。 下敷きでパタパタと煽ぐ少し猫背の背中を見る。 私の朝のルーティン。 ─ 後に開