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あちら側にいけなかった私が得たもの
散々言うとりますが、私は帝王切開で二男を出産した。
二男を妊娠する前から、次は自宅のこの部屋で産むんだと何度もシミュレーションする程、自宅出産は叶えたいことだった。
だから、逆子がわかった時から、どんな時でも逆子がなおることを祈ったし、お灸や逆子体操、できることは何でもした。兄ちゃんといても胎動が下の方ですると、まだなおってないと意識はそこに引っ張られ、いつも心ここに在らずの状態だった。
結局、最後までもどらず予定通り帝王切開での出産。これは仕方のないこと。
でも、割り切れない気持ちや、心の奥に残った気持ちがずっとあった。
私は何にひっかかっているんだろう。
まず、逆子になった時、意地でもなおそうとした。正直、お灸や逆子体操は心地よいものではなかった。したくない日もあるのに、これしなければなおらない!と自分で決めつけ、頑張りすぎてしまったから。苦しかったなぁ。
そして、逆子のことを四六時中ずっと考えていた。今回の妊娠ではネットで調べることはしなかったのに、この時はなにかないかとずっと調べていた。これも、きつかったなぁ。
また、自宅出産することで自分が変われると思っていた。だから、できなかったことでチャンスを失ったと思った。そんなことないのにね。(今だから言えること)
それから、自然なお産、助産院、などの言葉が自分の中でひっかかり、私はあちら側にいけなかったとずっと思っていた。
赤ちゃんは無事に産まれてきたんだし、それだけでいいじゃないか。もちろん、そう。
だけどね、やっぱり心の中で願い通り産めなかった
悲しみや悔しさがしっかり残ってる。その想いもちゃんと受け止めてあげなきゃいけないし、なかったことにはしたくなかった。癒すのに時間はきっとかなりかかる。でも、それがきっと何か意味のあることなんだとも思っていた。
産後は体の回復を最優先にしていたし、頭が覚醒しっぱなしで悲しみに浸ることができなかった。
悲しかったね、悔しかったね、自宅で産みたかったねと自分に話しかけても涙が出てこない。泣きたいのになぜか泣けなかった。お世話になった助産師さんに出産の話をした時も泣かなかった。聞いてほしかった人に心の中を話すことができなかった。
産後半年くらいに、助産院で産んだ人達に会う機会があり、私はそっちには入れなかったと、あの思いが押し寄せてきた。それからしばらくは、重たい黒っぽい感情の波に飲まれて、からまって、身動きがとれなくなり、心理カウンセラーさんのところへ行ったりもした。
それだけ、私には大きなことだった。
私は手術中、赤ちゃんの頭が挟まってしまったので子宮を十時に切ったそうだ。だから、TOLACはできない。今世では、自宅出産はもちろん、経膣分娩ももうできないのだ。
TOLACとはTrial Of Labor After Cesareanの略で、帝王切開後の経腟分娩を試すことを指します。
私は、私が自分の力で産みたいと思っていた。帝王切開で産まれてくる子供が、とかではなく、主語は私。私がそうしたかった。私が私のために。
私は、長男を病院で経膣分娩で出産している。どんなお産であっても、悔しい悲しい思いをすることはあるだろう。帝王切開だから特別つらいとか、そういうことはない。
でも、なんか帝王切開になると、経膣分娩で産みたかったと思ったり、こんなに悔しい思いをするのはなぜだろう。
私は、感情との付き合い方や意識の使い方を探求しているところなので、私なりに考えてみた。
経膣分娩の方が普通で、帝王切開だとそうじゃない、って無意識に思ってるからなんじゃないか。
ネットや雑誌にはっきりとは書かなくても、そう思わせるような表現があるんじゃないか。だから、多くの人の意識にそう刷り込まれているんじゃないか。
もし、そうなら、その普通としていることも覆していきたい。そもそも普通なんてないし。人それぞれ考え方価値観は違うし。勝手に普通なんて決めないでよ。
どちらが良いとかジャッジをなくして考えるとまた違ってくる。
あぁ、意識の方に話がずれてしまったけど、ここも掘り下げるのも大きなポイントな気もするんだな。
でも、一番大切なことは、どんな感情も持っていいということ。
例えば、産後何年も経ってるのに、まだ引きずってる、とか。引きずり、上等!だし、この感情と一生添い遂げてもいいしね、そうしたいのならば。何年も経ってるから忘れなきゃ、とかなかったことにはしないで。そう思う自分も自分の一部。どんな自分も自分なんだから。思い出してどっぷり悲しむのも前に進むためには必要なこと。
私は、産後半年くらいでやっと泣けるようになった。少しずつリハビリのように泣いていって、ある時はネジが外れたように何見ても泣くという謎な時間もあったり。
どんな自分もいいよね、そう思えるようになったのは友人とのセッションを受けてから。それまでは、どう自分に寄り添ったらいいかわからず、ぐるぐる同じことを考えは抜け出せないことが多かった。
帝王切開で産んだから知れたこと。もし、経膣分娩で今回も産んでいたら、到底気づくこともなかった。こうやってここに書くこともなかった。書くことで自分を癒し、読んでいる人にも何か与えられるものがあるかもしれない。
まだまだ修行中だけど、いつか私だからできることを必要な人に届たい。