トニオ クレーガー
「昇華」 社会的に実現不可能な(反社会的な)目標や葛藤、満たすことができない欲求から、別のより高度で社会に認められる目標に目を向け、その実現によって自己実現を図ろうとすること
この言葉を学校の授業で聞いた頃から僕はギターを弾き歌詞とメロディーをつけるということを趣味にし始めた。それも結構自信満々に。
自分が「普通」ではない、という自覚はどんな事実があろうともその本人の認識にしか寄らないもので、その点僕は自分は「じゃない方」だとそれも悲観的に捉えがちだったかもしれない。
自分自身をそんな風に斜に見ているもんだから流行りのJpopや青春映画、エバーグリーンな物語にさえ自分を登場させることはできない。
それでもヒトだから、この地球上の社会のどこかに居場所とそこにいる理由を見つけずにはいられない
あるひとは非行にそれを見つけ、ある人は少し背伸びしすぎた恋愛にそれを見つけたかもしれない
僕にとってそれはギターであり、歌うことであり、作ることだった そうやって自分に才能があるということにして「普通」というものと折り合いをつけた
きっとトニオクレーガーもそうだ
友人への憧憬と叶わないとしか思えない恋、そしてふと省みてやはりどう考えても憧れからは外れものの自分。
このやりきれなさをやりきれないと、意味なんてないと片付けてしまうことほど切ないことはない
トニオはそれを書くことに見つけた
自分の中に渦巻く普通への愛憎を、書くことで昇華しないことには普通に生きていくことすらままならなかった
そしてトニオはその才能を見事、具現化し物書きとして名前が知られる
しかし「普通」へのカウンターパンチをアイデンティティとして生きることには実に多くの矛盾が生じる
芸術をもってして繰り出したカウンターは皮肉にもその対象である「普通」に認識され評価されて初めてカウンターになり得る
昇華の根源は理想への絶望とそのエネルギーのすり替えでしかなく、やはり諦めた理想へのまなざしは羨望以外の何にもならない
それでも人は生きていかなくちゃならないからねといってしまえばおしまいだけれど、そういったものを成長の支柱としてしまえば少なからず歪んでいってしまうのは想像に容易い
トニオは終盤、やはり自らの普通への羨望を目の当たりにし、それを認めた上でそれでも書くことはやめないと決意したところで物語は終わる。
文字にならなかったそのあとのトニオはどうだっただろうか
文字になっていないトニオの本心はどうだっただろうか
また冒頭に戻りそれまでと同じ逡巡を繰り返すのだろうか
はたまた大人になったとかいってうまく折り合いをつけてしまえるようになったのか
物語の中盤、友人の絵描きに自らの芸術家としての逡巡を打ち明けたトニオ。
友人は「あなたは普通だ」とはっきりいう
きっと私が見ていた「普通」もトニオが見ていた「普通」も他者に投影した理想の「普通」だったに違いない
そして多分にもれずみんながみんなその幻影に向かって歩いている
歩き方や道、見ているものは違っても平坦な大地の上、ノロノロと同じところへ向かっている
それで普通である
みんな違ってみんないいなんて本当は言わなくていい
違って当たり前で違い方に優劣なんてない。違うことにビジネスチャンスなんてない 本当は
それでも人間「普通」になりたくて、そして「普通」の中で違いたくてたまらない きっと
芸術とそれを受け取る人々は何より無慈悲で生み出すまでに費やした資源や幸せの総量にかかわらずいいものはいいし悪いものは悪い
宝くじみたいなものだ 傾向と対策は今の世の中たくさんあるけれど
トニオクレーガーは少し報われない才人だ。
少し変わった特別な人にも見える
しかしこの物語が時代を超えて支持される物語であることがなによりもトニオクレーガーを普通たらしめている