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インド大反乱(セポイの反乱)150年の切手

【日本史も変えたこの事件】シリーズ切手

2007年8月9日にインドで発行された、インド大反乱150年の切手、2種完です。

図案は、
    ラクナウ包囲戦
 カーンプル包囲戦
です。

さて、このインド大反乱(1857-1858)ですが、上の世代の方々はセポイの反乱と習ったはず。しかしそれでは東インド会社の傭兵(セポイ、シーパーヒー)が起こしたインドの一部の反乱と思われてしまいます。それで今では、インド大反乱とかインド独立戦争、一般的には、イギリスの植民地支配に対してインド人民が起こした民族的抵抗運動とされます。

きっかけは、傭兵たちの蜂起。ここにインド各地で民衆が反乱に加わりました。また、イギリスのとりつぶし政策に反発した藩王国も加わりました。たとえばインド西部の小国の女王ラクシュミー=バーイーさんは、反乱軍の先頭に立って闘い、インドのジャンヌ=ダルクと言われました。そして反乱軍は、デリーに進軍、ムガル帝国の皇帝を擁立して、デリーに政権をうち立てました。
その後イギリスが反撃に出て鎮圧するのですが、ボンベイ、マドラス、パンジャブ、イラン、中国人、ネパールから兵をかき集め、近代兵器の威力を以て鎮圧したのです。これは大変だったでしょう。
なお、イギリス軍は反乱を起こした捕虜を、大量に残虐に殺しまくっています。あまりにもグロイので書きませんが、森本達雄『インド独立史』中公新書を読んでみてください。

このインド大反乱が起こった1857年は、ヨーロッパではクリミア戦争(1853~56年)の終わった翌年で、中国では太平天国の乱(1851~64年)、アロー戦争(1856~60年)の最中でした。これは日本の開国、明治維新の時期に重なってきます。

インド大反乱、中国の太平天国の乱をアジアにおける反植民地の民族運動とみて、明治維新に先行するアジアの強烈な反植民地闘争を体験した欧米列強はこれに手を焼き、そして日本に対しては、武力制圧ではなく、自由貿易の強要という外交交渉を優先させた、という説もあります。うーん、これは一理ありそうですね。

【日本史も変えたこの事件】シリーズ
世界史を変えた事件は、日本の歴史にも影響しています。日本の過去に影響したということは、今の私たちにも影響したということ。遠い昔の異国の出来事が、知らないところで関係していた。。。そういうことを考えさせる切手のシリーズです。

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