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あっちの私もこっちの私も"私" 『100分de名著 偶然・アイロニー・連帯』
家にいる私、友人と話す私、会社で話す私。全部、ちがうキャラクター。ーかつては、家の自分と、学校での自分もちがったーそれが嘘をついているみたいでモヤモヤとしていた。
今年の春ごろに手に取った『100分 de 名著 偶然・アイロニー・連帯』を読んで、その考えを吹っ切ることができた。
「100分de名著」とは?
一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、途中で挫折してしまったさまざまな“名著”を読み解く番組。(25分×4回=100分なので、この番組名なのですね〜)
私は気になったタイトルの回を見るようにしているのだが、『偶然・アイロニー・連帯』のことは番組をきっかけに知った。たぶん、前の回の流れで見て「おもしろい!」となった記憶。
アメリカの哲学者 リチャード・ローティの著書。ローティは、2016年のトランプ大統領の誕生を、18年も前に予言していたことで話題になった人、らしい(私はこの情報を知りませんでした!!!)
どんな方なのかや著書の内容はぜひ検索してください。
たぶん読むには難しい内容なんだろうな…という浅い感想を持ちつつ、番組の内容に引き込まれて「もっと詳しく知りたい!」と思い、NHKテキストを購入し、読んだのでした。
読んでいて「おお、そう考えていいんだ」と思ったのが、第2回 「公私混同」はなぜ悪い?に書かれていた内容だ。
ローティは「公」と「私」は統合するべきではない、と説いている。どうして統合すべきではないか?を、ローティが書いた「バザールとクラブ」という挿話を交えながら解説している章だ。
この挿話について、講師の朱 喜哲さんはこのように解説している。
ここでは公共空間としての「バザール」と、私的な空間としての「クラブ」が対比されています。生活のために「バザール」で生きていかざるを得ない私たちによって、一日を終えて退避できるような「クラブ」もまた必要なのだ。そんなことが伝わってくる挿話です。
たしかに会社での建前も、プライベートでの本音トークも、生きていくには必要だ。どちらかに統合しようとしてしまうのは無理がある。
この表現に出会うまでは、なんとなく公私を分けていることに負い目のようなものを感じていた。が、どちらの自分も必要で、そこにグラデーションがあってもいいのだと思えたことでかなり余裕が生まれた。
専門的な言葉が多く、最初はとっつきづらい可能性があるので、NHKオンデマンドなどでテレビ番組版を見てみることをおすすめしたい!が、いまテキスト版をパラパラと読み返してみても気づかされることがあるので、興味がある人は手にとって読んでみてほしい。
10月も後半に差し掛かり、読んだ本・読みかけの本・読んでみたい本に思いを馳せることを増えたので、読書記録を書いてみたのでした。
ではまた。
この回の講師を務めている朱 喜哲さんの著書もおすすめです!(途中お休みを挟みつつ、まもなく読了!)
最近は毎週金曜の夜に、1週間どんなことを考えて生きているのかを日記まとめています〜。