"おまけが本編" の語学学習
ポリグロット ([英] polyglot) という語がある。
なんだか入れ歯安定剤を思い出させる響きだけど、近所のドラッグストアで見かけるほどありふれたものじゃないはず。これ、「多言語話者」のことを表す単語だ。
“poly-” が「多くの」 、 “glot” が「舌」。ギリシャ語起源の単語で、ラテン語派生の言い方をすればマルチリンガル ([英] multilingual) になる。
これから始まる 9言語を併行して学ぶという出オチ感しかないチャレンジの、究極のゴールはここだろう。
けれども実際のところ、本当にそれを達成したいのかと問われたらぼくはちょっと考え込んでしまう。だいいちこんな方法で複数の言語をいっぺんにマスターできるなんて話があってたまるか (反語)。
ぼくは第二言語習得の専門家ではないから断言は避けるけど、たぶん学習効率はすこぶる悪い。本当に語学に挑みたいと思う意欲のある方は決してマネしないでください。
それでもこんなやり方をするのは、新しい言葉に触れたときの発見をめいっぱい楽しみたいからだ。
そう、語学をやっていると心が動くのだ。
「あのレストランの店名ってイタリア語でこんな意味だったんだ!なるほどー!」「このカタカナ語ってロシア語がもとなのか!まじか!」「標識のハングルが読めたぞ!やったぜ!」などなど、小さな感動の実体験を挙げればきりがない。
ぼくにとって、外国語は驚きと楽しさが詰まったおもちゃ箱みたいなもの。ひょっとしたら、読み書きができるようになること自体よりも、雑学とか小ネタとかの "おまけ" の方がモチベーションなのかもしれない。
さて、本題。
2022年4月度の NHK ラジオには、全10言語の講座がある。
英語・中国語・ハングル・イタリア語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語・アラビア語・ポルトガル語だ。
英語はレベル別・対象別にたくさんの番組があるわけだが、これは別格の扱い。
それ以外の言語の講座は、次の3パターンに分かれる。こんな感じだ:
月〜水曜日は入門編、木・金曜日は中級編……といった具合に、同じ番組枠の中で曜日によってレベルを分けているパターン。
イタリア語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語がこれ。入門編と中級編とで番組自体が分かれていて、それぞれ月〜金曜日で講座があるパターン。
中国語とハングルがこれ。週末に入門編の講座のみが提供されているパターン。
アラビア語・ポルトガル語はこれ。
例外もあるが、基本的に 1番組 15分。
今回は初級編からチャレンジするから、イタリア語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語は週に3日だけだ。これを書いている時点 (4月6日(水)) で第1週はもう終わってしまった。
で、木・金は中国語・ハングルだけ。アラビア語とポルトガル語は週末のお楽しみである (ちなみにアラビア語講座だけは30分番組)。
ということで、1週間のあいだに聴く量は:
[5言語 (伊・独・仏・西・露)] × [3日 (月 〜 水曜)] × [15分] = 225分 … (a)
[2言語 (中・ハングル)] × [5日 (月 〜 金曜)] × [15分] = 150分… (d)
[1言語 (ポルトガル語)] × [1日 (土曜)] × [15分] = 15分 … (c)
[1言語 (アラビア語)] × [1日 (日曜)] × [30分] = 30分 … (d)
(a) + (d) + (c) + (d) = 420分。1週間あたり7時間だ。
もちろん聴きなおしもするし、テキストを読んだりノートに書いたりもするからこれ以上の時間は当然かかるけど、やってやれない数字じゃない。
文法や単語がどこまで定着するかは分からないけれど、少なくとも聴き続けることはしていくつもり。
それにしても、こう見ていると NHK がどれだけ外国語学習に情熱を注いでいるかがよくわかる。このことはただただ感歎するばかりだ。
今でこそ学習アプリや語学系 YouTube などなどコンテンツが山ほどあって、無料で基礎から外国語を学べるチャンスはいくらでもあるけれど、ちょっと昔までは学習環境はこんなふうじゃなかった。
その中でも、無料で聴けるラジオで、書店でかんたんに手に入るテキストで、いつでも老若男女に語学の門戸が開かれ続けていた。このことが持つ意義はとてつもなく大きいと、ぼくは思う。
もう15年前ぐらい前のことだろうか、どの言語の講座のテキストだったか思い出せないが、学習者のおたよりコーナーみたいなページがあって、そこに印象的な投稿があった。
「もう何年も続けて初級編を楽しく聴いています」「今回の新シリーズも楽しみです」というような内容だった。たしか、もう定年退職されているぐらいの歳のリスナーからだったはずだ。
なぜだかそれが、ずっと心に残っていた。
それを読んだ当時、高校生か大学生だったぼくは、なんでまた初級編ばかりを繰り返しやっているのかと不思議だった。もっとガチで取り組んで、早く中級編に進めばいいのに、と。
ただ、今になればよく解る。おそらくそのリスナーにとって、ラジオで外国語に触れることは、言語をマスターすることばかりが目的ではなかったんじゃないか。
きっと、学びの過程 –– 例文から感じ取れる外国の文化や、文法説明の合間にあるちょっとした小話など –– で得られる新鮮な感情をこそ求めて、6ヶ月ごとに変わる初級編のプログラムを愉しんでいたのだろう。
定年後、決まった時間に出勤することもなくなったけれど、ラジオの語学講座をいつもの時間に聴くことが日常のうるおいになっている……なんて、そんなご老人の穏やかな生活が頭に浮かぶ。
願わくば、時代が変わっても、こんなふうに外国語学習は身近なものであってほしい。いつか年を重ねて、ポリグリップにお世話になるような年齢になっても、学び続けていたいものだと願うのである。