トラウマはいつか消えてかけがえのない贈り物となる。
僕の前妻は、癌で死にました。
享年は28歳で闘病は2年間くらいだったです。
僕らの癌闘病は、当時一般的だった死に向かう戦いです。
そして痛みとの戦いです。
痛みの少ない日には、いつも病棟の窓から駐車場に入る僕の車を探してくれていました。
死に向かっていくしかない闘病と言うもの影響は、当事者や夫婦だけに収まりません。
当事者に近しい家族友人皆が振り回され心身とも、くたくたになるひどいものでした。
今思うと当時、あほで未熟だった僕は、自分以外の人が自分の事しか考えていない悪者のようにしか見えませんでした。
自分の父とも良く怒鳴り合いました。
理由は思い出せませんせんので、つまらない事だと言う事だけは確かです。
死にそうな娘に会いにも来ない義父にも腹が立ってしょうがありませんでした。
自分の母は、宗教の神に頼りました。
義母は、良く面会に来てくれましたが、こっそりモスバーガーやら買って来て内緒で食べさせるのが許せませんでした。
彼女が喜んでいたので僕には、何も言えませんでしたが・・
まあ・・・そうです。
あの時本当に無茶苦茶だったのは、どうやら僕ひとりだったのかも知れません(笑)。
よくよく考えれば。
皆、それぞれにそれぞれの愛があったのだと思うのです。
いま思えば。
あの時すべてを怨んでいたのは、恥ずかしながら僕ひとりだったようです。
死に際。
本人は、きれいごとしか言い残しませんでした。
「いつも来てくれてありがとう。」
「優しくしてくれてありがとう。」
「最後まで居てくれてありがとう。」
「まだ若いねんから再婚しいや。」
「最後に知らんかった事いっぱいわかったし癌にも感謝やなあ。
この世界には、感謝しか無かったわ・・」
そんな綺麗な言葉のみを残して僕の元から消えました。
僕は怨みました。
自分の両親も向こうの両親も。
自分だけ不幸にしたこの世界も。
一度目の電話で保険金は出せませんと言い放った○○生命も。
自分が勤めていた会社も。
もう全部嫌い。
僕だけ不幸にしやがってと。
死んだ妻本人にさえ。
いつも笑って聞いてくれてたから・・
なんも言葉が届かへんのは死ぬより苦しくて辛かったで。
みんな死んだらええねん。
地球滅びろや。
最愛の家族を失った人間の感情なんて普通にこんなものではないでしょうか?
20年が経ちました。
彼女が残した長男は、現在大学の2回です。
長女は、結婚し孫を2人も産んでくれました。
再婚した僕は、こども3人まご2人のおじいちゃんです。
仕事も辞め自由。
今は、愛する人に囲まれて何事にも困らない生活です。
再婚しろって言ってくれてありがとう。
あの言葉が無かったらぜんぶ無かったわ。
ありがとう。
人生で今が一番幸せだと言えるよ。
だから分かる。
よーちゃんも向こうの世界でめっちゃ幸せになってるんやろなあ。
なんで見てないのにそんなん分かると思う?
あの時の僕には無くて、よーちゃんがいっぱい持ってたものが答えやんな。
それは、不幸と絶対に同居できないもの。
感謝やんな。
やっぱりこの世界には感謝しか無かったわ。
もう大丈夫やで
めっちゃありがとう。