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◯◯ロスロス
【〇〇ロス】
◯◯ロスとは、何かその人自身が大事に思っている人物や物などを失って(英:lose)、悲しくなったり虚脱感を味わっている状態のこと 。ロスとは英語の動詞lose(失う)の名詞形。
前回の記事【一日一恥】総員休憩しますから、ちょうど約1ヶ月が経ち、今日からまた、この共同マガジンを再開できる運びとなった。
でも、全てが以前と同じというわけでもない。
チームのメンバーのうち、一人は戻らない予定である。
彼女はこの休憩期間にそういう決断をして、
僕らは慎んで受け入れた。
彼女は最後に、チームのグループLINEにFarewellメッセージを残して、その同分、間髪入れずにグループからも抜けた。
「ちょっと(グループ抜けるの)早くない?」
とは思ったけど、
僕らは慎んで受け入れた。
その後しばらくあって。
全く異なる文脈で、不在を惜しむメンバーの一人が「◯◯ロスだ」的なことをつぶやき、僕にはその感覚が、あまりよくわからない。
***
ロスを感じない理由。
それは僕としては、それほど ”失った”と感じていないからじゃないか。
そんな気がする。
もちろん僕も、自分の愛着があったものや、人が変化して、
もう昔と同じではないんだな、と思うときは、それなりにある。
地元の変化もそうだし、親の老化もそうだ。
時が経って、少しづつ衰えてゆくものは、割と全般当てはまる。
そして、勝手な感覚だけれど、
それを残念に思ってしまう気持ちもある。
ただ、それと同じぐらい「なくならなかったもの」の存在も感じるのだ。
いや、別に全部失ったわけじゃないよな、と思う。
一緒に過ごした時に生まれた、具体的な「差分」が見つかる。
もう以前と同じように見たり、喋ったりすることは叶わなかったとしても、記憶の中に思い出し、声を聞くこともできる。
心に深く刺さったものなら、その笑顔や眼差しやことばひとつで、
10kmぐらい走れるような気になることさえ、たまにある。
その効果は全然まだ ”生きて” いるのだ。
すまん。ちょっと言い過ぎた。
2~3kmぐらいなら大丈夫だと思う。
もし、もっと時間が経って。
その姿や声を以前ほど、クリアに思い出せなくなったとしても、
それでもまだ、自分の中に残る影響がある。
その人から影響を受けた自分の存在が、そのまま、今に残るその人の存在の証なのだ。
勿論、なくなったものもあるけれど、
それと同時に、なくならなかったものもある。
そんな風に思う。
そして言わずもがなだが、彼女は普通に生きている。
確かに「一日一恥」からは抜けたものの、LINEを送れば既読になるし、返事も返ってくる。多分体調もあまり良くないであろう。いつものとおりだ。
何も失った気がしない。
逆にこれが何かのきっかけとなって、将来また全然異なった、不思議の展開に繋がらないとも限らないよなぁと思う。
ロス感がまるでない。
それで逆に少しボンヤリもしてしまう。
これは、◯◯ロスロスなのかもしれない。
***
さて、ウェブ上の書き物のよいところは、バックナンバーであろう。
もしかして気がつかれた人もいるだろうか。
僕が彼女の書き方を真似てみたことに!
(あまり似てなかったかもしれない…)
ちなみに、この他の人の書き方を真似て文章を書いてみるというアイデアも、かつて一日一恥で書いてくれた「れとりば」の発案でもある。
僕の中で、それらはずっと生きているのだ。
一緒に遊んでくれて嬉しかった。
また遊びたもうや。
(以上)
補遺
今回は大変内輪ネタで恐縮でしたが、触れておきたいことでした。何がいつどうなってしまうかわからない日々の中にあっても、同様に確からしい、いつか何かの不思議の巡り合わせにも思いを馳せつつ、「一日一恥」を再開したいと思います。どうぞよろしくお願いします。
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