わたし的タンゴロスについて考えてみた
ブエノスアイレスにいるのに、タンゴが踊れない毎日。アルゼンチンタンゴは濃厚接触なので踊れる社交場、ミロンガの解禁はずっと最後の方になるらしい。
いまもブエノスアイレスでの日常は、しあわせに過ぎていくけれど、やっぱりタンゴが踊れない日々は物足りない。
どの辺が?わたし?
書きながら考えて、どうも3点に落ち着いた。
アルゼンチンタンゴは、相手と深くAbrazo (抱擁)して踊る。Abrazo の中で、音楽を2人で一緒に聴いて、踊りを作り上げていく。
ただただ床と相手を感じ、音楽を聴くことに無心になると、全部がひとつに溶け合う感覚になることがあって、私たち音楽になっちゃったね!みたいな気持ちよさをたまに体験する。
それは瞑想している時の感覚と似ている。しかしながら、瞑想ではないし、タンゴを聴くだけでも満たされないし、Abrazoだけでもない、踊らなければ得られない感覚。
もしかしたらそれは音と体温とハート、そして周りの人々も含めた空気感とか床とか、いろいろな要素が融合することに意味があるのかもしれない。融合に自分も参加した感が、独特の充足感を与えてくれるのかも。
この感覚が第一に懐かしい。
第二には、おじいちゃんミロンゲーロ達と踊ったときの、驚きと発見。
経験豊かなおじいちゃん達は、独自の世界観を持っていて、音楽の捉え方もステップも豊か。えーっこんな風に音を聴くんだ?とか、いま何やったの(やらされたの?わたし)?みたいな事が頻繁に起こる。これって、きゃっきゃっ、しちゃうような面白さなのだ。
こんなおじいちゃん達は、タンゴ界の生きてる国宝。長生きしてもらわなきゃ困る。だから、おじいちゃん達を守る為にも、ミロンガのお休みには賛成せざるを得ない。
ミロンガという場は、踊るだけではなく、社交場でもある。身だしなみを整えて毎週毎週、同じ場所に同じ人々が集う。そして顔馴染みと挨拶を交わし、近況報告をして、踊る。
初めての人とわくわくしながら、踊る。
ミロンガのサロンの華やかさの中に身を置きたい。馴染みの人々と挨拶を交わし合いたい。それがタンゴロスを感じる第3の理由。
ミロンガから帰って、あー楽しかったとベッドに横たわれる日は、まだしばらく先だけれど、楽しみに待つことにしましょう。