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まず店員を呼ぶ

さて、水曜日は「リトルまさまさのこなくそ日記」です。
このマガジンでは、イマ・ココの思索の旅をテーマに、生煮えであろうと、ひょいひょいと可憐なアイディアを書いていきます。

こちら、定型文です。サブリミナル効果で刷り込んでゆきたいです。

それはもう歴然たる金曜日深夜の更新なわけですが、今週は大変珍しく、風邪を引いておりました。そういうことなら仕方なかったね、ということで。ギリギリセーフ!今週も、元気に書いて参りたいと思います。

今回で、本マガジン7本目となりました。ぱちぱちぱち。なんとも言えないタイミングでお祝いしてみました。

さて、これまでの内容をざっくりまとめると、

先行きの見えない道をゆくのなら、計画的であるよりは、もっと探索的に、自転車操業で、牛歩に次ぐ牛歩でやっていこう。未知先案内には、巨人の肩乗せ屋を味方につけつつ、シブロクの現状把握と、戦略的な習慣でもって臨みたい。それでも焦る時はフィボナッチ数列を眺め、ごきげんを保つのさ。

ということになります。この「寿限無寿限無」パートが、記事中でも最大の読者置き去りポイントになるだろうから、なるべくなら、書かない方がいいのに書いてしまう。ああ、また書いてしまった。

もしご興味があれば、前回のnoteをご覧あれ!
(健康一番、ご無理のなきよう)

さて、行きましょうか。今回のテーマは「店員を呼ぶ」です。

無駄話も早々に

普段のこなくそ日記では、まず最初に何かしら、私生活あたりの他愛もない出来事のような「お話の中心へと誘うフリ」が入りますが、今回は余裕もないので、一旦ここは段落だけ作っておいて、後ほど、必要に応じて更新するという離れ業で凌ぐことにします。Web記事あるある(?)です。

※現在エピソード候補 会社の後輩に「まさとさんは、いつまで経っても、準備、準備」と言われて耳が痛かったお話の予定。

(前略)

何かをしようとする際に、最初の抵抗が一番大きいことは、自転車で言うところの漕ぎ出しが重たいのと同様で、自然の摂理である。だから余計、この重たい一番最初に、初速が足らないと「うだうだする間」が出来てしまう。

その「うだうだ」の最中に発生する迷いが、「これも必要なんじゃないかなー」とか何だとか、周辺の「準備」に気持ちを流し、その準備の周辺にも、また未知の領域が広がるため、それを知るための時間、いわば準備のための「準備」にまた手を出して、とやってるうちに、本当のやりたかったことが、どんどん遠くなる。いつまでたっても準備が終わらない。

これが僕の失敗であった。

具体的には、僕が何度もトライし続けているプログラミングで言うならば、環境構築のようなところで躓いてみたり、それはそうと、Web全体の周辺知識も必要なのでは、と関連図書を読んでるうちに、段々と「Webサービスを作る」という本丸から一歩離れ、二歩離れして、「いつまで経っても準備、準備」になってしまっていたのだと思う。

「ノリと勢いと即興」による、イップスの打破

そんな袋小路に迷い込んでしまう前に、後知恵で言えることがあるのなら、きっと僕は、何よりもまず、店員を呼ぶべきだった。

もちろん喩えとして。

それは先に締め切りを決めてしまう」ということ。そうすれば、否が応でも、糞味噌の出来であろうと、何かしらは出来上がる。という、ただそれだけのことである。そしてこれが、意外に効果的なんじゃないかと思う。

この様を、ファミレスなんかで注文を決める「前に」まずはボタンを押す。「店員を呼ぶ」という行為に込めています。

「ピンポーン!」
「只今お伺いいたします~!」

こうなったら、もう決めざるを得ない。やるしかない。嫌でも店員は来るのだから。呼んでもないのに。

締め切りが決まったことで、すべきことがすごくシンプルになる。「残された時間の中で考えて、その瞬間のベストの選択をする」だけになる。寄り道をしている余裕はない。「うまくいかなかったらどうしよう」と悩んでいる暇もない。うまくいかなかったら、ただこう言えばいい。「急に(ボールが)来たから」と。

そんな風に、その時のベストの選択なりアウトプットをひねり出せたなら、満足いく出来や、結果ではなくとも、以下の意味で、よくやったと言えるんじゃないかと。

・打席に(きちんと)立ったこと
・何よりもまず「具体的にやってみる」ことが出来たこと

それだけで十分、えらかったと。具体的にやってみてわかる難しさ、意外の簡単さ、面白さなんてのもあるだろう。それが貴重で、そこさえ出来れば、あとはTake it from there.

そこから始めればいいじゃないと。フィボナッチ数列の最初の1。それが、どんなにしょぼくても、偉大な、はじめのはじめの第一歩だと思おうじゃないと。

続きまして、前記事の展開を何となく踏襲し、色んな「店員呼ぶシリーズ」を考えてみようのコーナーです。

店員を呼ぶシリーズ~閑話休題~

この「店員を呼ぶ」には、色んなシチュエーションがありえると思う。

■ 店員を呼ぶ 具体例 
・会話が滞った時に「それにしても、アレですねー」と、とりあえず口火を切ってみる。
・何かしらの回答をする時に、「理由は3つあります」と聞く側の頭の中に箱を用意してみる。
・いい企画があるので会って下さいと「アポを先に取ってみる」

(※他にもいいのがあったら、教えて下さい!)

上記の例には、それぞれ「時間的なバッファー」にこそ差はあれど、これは「即興の舞台に立つ」ことを意味していると思う。

着地が決まるかはわからない。でも、飛び立つ。怖いけれど。無理やり始める。強引に始める。そのトリガーを引く。

あとはその着地までの間に、「その時間、瞬間に出るもののベストをこしらえて勝負する」

そのためのスイッチを押すこと。それが「店員を呼ぶ」である。

「崖を飛び降りながら、飛行機を作る」という表現があったことも思い出したので、こちらの方がお気に入りの方は、こちらをどうぞ!

「大人の世界」はカンニング・フライング上等である

本題に戻る。

この「店員を呼ぶ」に関連して、「カンニング」と「フライング」についても述べておきたい。

「カンニング」とはズルのことである。誰かの答えをパクることである。これは子供の頃は、良くないこととされるが、前職のアメリカ人の上司は、逆のことを言っていた。「子供の頃のカンニングは駄目だけど、大人はカンニングしないほうが駄目だと」

曰く、「問題を解く時に、イチから自分の頭で考えて無駄な時間を使ってはいけない。チームに聞け、それでも駄目なら社内中に聞け。既に似た問題に対して考えられたモノがあるならそれをパクることから始めなさい。自分の頭を使うのはそれからでいい」と。

なんとも効率重視の価値観には感じたけれど、実際に「店員が来る」なら、細かいことは言ってられない。

次に「フライング」について。これも同様であるが、今回は、不慣れな恋愛の例えで述べてみる。

好きな相手に「キスしていい?」と聞くのは愚問であり、チャンスを逃す。まずはキスをしてしまえと。その上で「ごめん、我慢できなかった。責任取るよ」と言いなさい、というヤツである。

なんたる力技。結果として、驚くほど引かれて悪評が立つようなことは想定しないのかなぁと思うけれど。それで駄目なら、最初からその子も駄目だし、無論他も全部駄目だったんじゃない?ぐらいの開き直りなのだろうか。

こちらも、フライングをすべしという、お話である。チャンスはここぞというタイミングでは自ら掴みにいかないと駄目だよ、という教えなのだろう。

つまり「店員を呼ぶ」は、ある種のフライング行為であり、その結果、カンニングも上等の、集中力を発揮せざるをえない環境を無理矢理作る、そんな効果がある。

読んだわけではないけれど、「ハッタリの流儀」などにも通じるところなのではないかと思う。読んでみます。

オフロ理論は、螺旋階段のように

冗長になったが、最後はここに統合したい。

フィボナッチ戦略という記事の中で考察したことは、何かを向上させていくサイクルにあっては、勿論、継続することが大事なのだけれど、多分それは「同じことを繰り返す」では足りなくて、方向性は同じ、新しいことをしてゆかないといけない。

サッカーで言うところの、ビジョンを共有している、異才を束ねていくことが、チームとしての底力の向上になるではないか、という仮説を唱えた。

※ちなみに「オフロ理論」とは、OFROの頭文字をとった、何かしらを向上させてゆくサイクルがあるんじゃない、という奇説のことです。

Output:まずはアウトプットをして
Feedback:
- ①自己発見:既知のラインを「お手本」に学び、自力検証
- ②他者評価:他力によるありがたい指摘(巨人の肩乗せ屋も探す)Restructuring:上記を元に、自らをシブロクで(フェアに)再構築しOpportunity:次なる機会を「店員を呼んで」獲得し、(上に戻る)

そうです。

この「まず、店員を呼ぶ」ことは、目的に対して、方向性は同じだけれど、新しいこと(チャレンジ≒機会)を先制して取っていくことに他ならない。

これまでと同じことをしても、これまで出来なかったことが出来るようにはきっとならないから、時期尚早か、そのちょい手前ぐらいのタイミングで、次なる機会を取りにいってみようじゃないの、と。

つまり、オフロサイクルは、同じ高さの周回軌道ではなく、螺旋階段の如く、理想的にはフィボナッチの黄金比の軌道でもって、と。

そんなところになるかと思います。

(以上)

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Masato | まさまさ牛歩の旅
よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。