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人生の正午 - ユング

先週でキャリアコンサルタントの養成講座が終わりました。6月にはいってからは寒暖差の激しい日々が続き、保育園に通い始めたばかりの0歳児が、毎週のようにお熱を出したり吐いたりして「急な呼び出し」があり、出席要件(14日中2日休んだらアウト)を満たせるかどうかの綱渡りでした。

でも、なんとか無事修了して、きたる本試験の受験資格を得ることができました。ここからは、試験に向けて学んだこと忘れないようにするだけ!

それでちょっとほっとしたからか、この週末は自分が風邪をひいてしまいました。頭痛と悪寒により、予定していた健康と哲学の勉強会を断念。どちらも、今回参加できなくても自分の中で学びが続く普遍的なテーマだから、いつかキャッチアップできるはずだと自分に言い聞かせます。

そんな40歳(イエス!私は40歳)を「人生の正午」と呼んだのは、人間として興味のつきない、ユング先生。

多くの人が、太陽が落とす影の角度が逆向きになることに気づく時。この転換期のミッドライフクライシスを経て、死を見つめながら生きるようになる時だそうです。

キャリコン試験的には、ここで人生を四季にたとえ、35~45歳を「夏から秋への転換期」としたレヴィンソン先生もあわせて押さえておきましょう。

1961年に亡くなったユングは、アラフォーでやっと人の親になるワーママ(あるいはワーパパ)が珍しくない時代がすぐそばに来ていることまでは予想していなかったことでしょう。

ほんの半世紀ほど前には、40歳というと、子育ても一段落して、むしろ孫とかいてもおかしくなくて「さ~て、晩年をどう充実させるかのぅ」と、考え始める年齢だったのかもしれない。今ココが一種の転換期であるということには異存はありませんが、正午を超えてやっと人の親になった今時の東京人には、危機に浸っている暇はありません。

時間軸として人生の折り返し地点に立っている(あるいは超えた)という自覚はあるので、これまでの生き方を棚卸し見つめ直し、新しい可能性に向かって導かれるように学びを重ねていこうとはしています。ロッキングチェアではなく高機能ワークチェアに背中を預けて、自分はどうやって残りの時間を生きたいかを考えています。

自宅仕事をはじめるにあたって、長時間座る椅子はいいやつでないと腰を痛めるから投資したのです!

そんな大変な時ではあるけれど、小さな人たちがモチョモチョと傍に生きていてくれることには、もう、感謝しかありません。

なぜか最近「ワイパー」にはまっていて、「バスのワイパーはこう」「山手線のワイパーはこう」と、両手をつかって真剣に表現し分けてみせてくれるヨーヨーも。2,3歩あるけるようになって、満面の笑みで自分で拍手したらその勢いでひっくり返ってお尻をついてしまうあーちゃんも。

あなたたちのおかげで、仕事も勉強も楽しいよ。その上に触れ合う時間もと欲張ると目が回るほど忙しくなるのだけれど、だからこそ、共にあるときも、ひとりのときも、すべての時間がかけがえがない。めんどくさいけどかわいすぎる。あなたたちがいるからわたしはもういつでも死ねる。だけど、あなたたちがいるからまだ死ねないとも言える。

死ねないんなら楽しく生きるしかないよね、だから、母ちゃんは人生後半も頑張るわ~。

(2020年6月追記)この記事を書いてから約1年後にがんが発覚して、それから手術とかなんとかあって更に1年後にリライトをかけているなかで、自分で書いた2パラ上の文が今も変わらない本音なので、つい太字にしました。

どなたさまも、ハッピーなライフキャリアを。


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