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時代のライブ

わたしの親(主に母)は子供にテレビを見せない教育方針だった。

だから、大学入学で一人暮らしを始めた時、はじめて、当時は誰もが知っていた「笑っていいとも!」をようやく確認し、みんなが好きな連ドラってどんなもんかと「ロングバケーション」を最後まで見た。

そのため、久保田利伸のあの歌をきくと、ボロくて狭かったけれど、日当たりと風通しだけは良かった、当時の部屋を思い出す。

女学生専用のアパートなのに、怪しいおっさんが「下に引っ越してきました」と挨拶に来たり、12戸の住人で外階段の下にある二層式の洗濯機1台を共有していたから、洗濯のタイミングが難しかったり。大学から近いもんだから、5畳一間のその部屋に男女問わずのクラスメイトが10人もつめかけて夜通し宴会して、朝になったら玄関前の床にもトイレにまで誰かが寝ていたり、とか。

表題写真はその頃のわたし、何も持ってないくせに、何にでも手が届く気がしていた。浮わついていて、危なっかしくて、お金はないけど、楽しかった。1990年代後半を確かに生きていた、あの頃。

ちっとも「女子学生専用」の意味がないおんぼろアパートだったが、今ググってみたらその貸し間は今も健在で、家賃はまさかの3万円台。全く物件のメンテナンスにお金をかける気がなさそうだったケチな大家のおばあさん、まだふんばってるんだな。

テレビについては、しかし、最初は好奇心で見てみたものの、隔離されていた時間があまりに長かったためか、バラエティ番組も連ドラもちょっと期待外れだった。狭い部屋でかさばる存在だったブラウン管のテレビデオは、専ら、レンタルショップで古今東西の映画を借りて見るために活躍した。

そんなことを思い出したのは。

昨日、旦那との会話で、1989年のヒット曲『目を閉じておいでよ』について、それは「米米CLUB」の曲だと思っていて、ビジュアルとしてはなんとなく「爆風スランプ」を思い浮かべていたという、年季の入った自分の大勘違いが発覚したからである。(正解は「BARBEE BOYS」)

混乱のさなかで「じゃあ、デーモンがいたのはどれ?」なんて聞いて、「それは聖飢魔II」と4つ目のバンド名が出てきた。

旦那はそういうズレに慣れているので、冷静に訂正してくれる。

Youtubeで確認したら、各グループの個性は全く違っていた。自分の勘違いは、一度でもこれらの映像を見ていれば起こりようのない Fusion of confusion だったと気づいた。

中学生のわたしは、友達から借りたCDを、カセットテープ(死メディア!)にダビングして、誕生日祝いに買ってもらった緑のラジカセで聞いていた。

成人してから親睦ツールとしてのカラオケを身につけるにあたっては主にレンタルCDに頼っていた。ミレニアム前後の当時、まだストリーミングは今のように拓けてはいなかったから。

とにかく、蒸し暑い熱帯夜、小さい人たちが寝ている隙に、勢いに乗じて記憶にあるいくつかの懐メロの映像をたどってみると、実にはじめて見るものが多くって、楽曲のイメージが急に立体的に立ち上がってくるような驚きを味わった。好きかどうかは置いといて、ほんとうに今更ながら、新鮮に。

これらのイメージを、時代のライブを、同世代のみんなは当時全盛の歌番組を見ていて、四半世紀も前から共有していたんだって考えると、なんだか自分だけ時空のねじれに落っこって眠りこけていたような気がしてしまった。

わたしに施された「健全で良いと親が認定した2~3の番組以外、全く子供にテレビを見せない」という教育方針は、ぶったぎりかたがちょっと乱暴だったんじゃないかしら。視覚的感情的刺激は強いから、発展途上の感性が流されぬよう呑まれぬようにと、刹那的なエネルギーから娘を切り離した親の不安はわからなくもないけどさ。

「ダビング」も「テレビデオ」ももはや死語だし、みんながいいともやキムタクを見ていた時代は終わった。一方で、絶え間なく生まれ続ける何かが、新しい時代を、文化を、形作っている。

それもやがては去っていく、時の味わいが必ずしも健全なものばかりとは限らないけれど。

親の造詣のなさがそのまま子供の地平線になることもあるってことは、意識の隅に留めておこう。

願わくば、小さい人たちが、彼らの時代の「ライブ」を楽しみながらも、幸せに生き抜いてくれますように。

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