ライター山の9合目から
単価を問わねば、書く仕事はどこにでもころがっている、だれでも自称「ライター」になれる時代。その「ライター山」は裾野が広く、踏み込みやすい山。でも、やたらと巨大で、上にいくほど険しくそびえたつ。
ブログを書き散らしていたとこから、ちょっと変わった企業勤務経験+心理系の学びをもとにライティングの仕事をもらえるようになって、書くことだけでもらえる報酬が月当たりの売上が初任給を超えた頃から、仕事は何かと聞かれたら「ライターもやってる」と答えることに躊躇がなくなった。
ライター山には、いろんな道がある。
去年から、恐れ多くも才能に満ちた若いライターさんたちへのへの指南も任されてて。。。と、近況を友達に話したら、いいライターとそうじゃないライターの違いってなんだと思う?と、聞かれた。プロのライターに仕事依頼しても満足と思うことがなかなか無いんだけど、と。
それ、私に聞く?出版社や新聞社の仕事の経験もないし、無名記事しか書いていないけど。うん、でも書くことで生活がなりたつからライター山の9合目あたりにはいるのかな。油断したら滑落死しそうだけどね、と断ったうえでの答えは;
一定のお作法があるビジネスライティングの型(5合目まで)は、基本的な日本語力とやる気があれば、誰にでも教えられる。
そこからはそれぞれ歩いてれば(学びを実践に落とし込む鍛錬積めば)自然に7合目くらいまでは登れる感じ。だが、そこより上に行く人(プロとして指名がもらえる)とそうでない人との違いは「理と情のバランス」がとれるかどうかのような気がする。ロジックとエモーションの割合。言い換えれば、文章の目的や読者層に応じてニュートラルがとれるかどうか。
幅広い読者層に気持ちよく読んでもらうビジネスライティングの要は、製品説明書(ボビンの溝と下糸巻き軸バネの位置を合わせ…的な)でも、抒情詩(国破れて山河あり…的な)でもないバランスが大切なのだが、
良いライターは、その絶妙なバランスを選んでスピーディーに書くことができる。書き出すときにはもう大体こんな感じというのがイメージできていて、筆を進めながら応用自在に表現を紡ぐので、傍目には「センス」「ひらめき」と言いたくなるし、多分無意識でやっていることが多いんだけれど、実はそれは、内的データベースを複眼的にスキャンする高速な作業の連続に分解できる。
その内蔵化された世界が広く選択肢が多いほどよい。そのスキャンは速くて精確なほどよい。
良いスポーツ選手が試合で素晴らしいパフォーマンスを見せる裏には地道なトレーニングの積み重ねがあるのと同じで、つまるところ、良い文章を書く人にはかならず読書の蓄積があるのではないかと思う。
私の友達には、読書好きな人が多い。会うと必ずと言っていいほど、自然な話の流れで「こないだ読んだ本が面白くてさ」とか「こんなことしたいんだけど、おすすめの本ない?」とかって会話になる。
ひと一倍忙しそうな人ほど、常に何か読んでいるので、カバンには一冊くらい仕事と関係ない本が入っている(最近はスマホ画面で見せられることも多いが)。「自分はあんまり本を読まなくて」という人も古典の良書についてはお互いに読んでいる前提で話が進められるのは楽しいよね。
実は仕事ができる人って、その気になればみんなライターできるんじゃないかなあ。
とかって無責任なこと言った勢いで紹介する、私の情の肥やしになっている愛読書、出会った順です。
「さらば愛しき女よ」(レイモンド・チャンドラー)村上春樹訳もでてるけど、やっぱりマーロウはこっち。
「龍馬がゆく」(司馬遼太郎)司馬遼太郎はみんな好きだよね。
「アルケミスト 夢を旅した少年」(パウロ・コエーリョ)サインに気づくこと。
「神々の山嶺」(谷口ジロー・夢枕獏)…想え!!!
「預言者」(カリール・ジブラン)