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想いがシンクロするであろう場所に向かっています

どうも、ウクモリ ヒロオです。

今日は今、大阪に向かっています。町工場プロダクツのトークイベントに参加するためです。栗原さん(栗原精機の会長)と、よめさん(藤澤製本の社長)のクロストーク。とても興味深い内容なので、現地参加を決意しました。

ちょっと話を逸らすと、私はnoteで何度か語った通り、2005年に大きな決断をしました。それはメーカーから商社へと業態変換するというものでした。その時すでに商社の色合いが濃かったのですが、中国でゴム成型品を生産していたこともあり、メーカーとしての立場も保持していました。

当時の中国は急激に発展していて、広東省と江蘇省に寮付きの生産拠点を2か所持っていた私の会社は、周囲の会社から羨ましがられるほどの規模を有していました。その頃の私は出張を繰り返し、日系企業の方々や台湾のパートナーの仲間と交流を深めていました。

ただ、多くの製造業が日本から中国へと進出が続く中、私はこれ以上の中国依存は、松山工業という会社の存在意義が消滅してしまうと考えた末に国内回帰を決意し、台湾のパートナーに株式を全数売却しました。

当時、私はまだ後継者という立場だったので、この決断に対する周囲の風はとても強く、あの時の心が折れそうな日々は一生忘れることが無いだろう・・・それくらい大変でした。当然ながら、心も完全に病んでいました。平日はほぼ毎日、ひとり酒で憂さ晴らしをし、深夜に帰ると玄関に布団が敷いてある・・・あの当時、家族にはとてつもない迷惑をかけていました。

周りに迎合できない貴方が悪い・・・先代からそう言われても、どうしても納得できなかった当時の私。そんな時に数名いたフォロワーともいうべき社員が叱ってくれたからこそ、私は再起するキッカケが与えられました。言うだけでなく、行動に移せるようになったのは、会社近くの居酒屋でそんなありがたい機会があったからです。

ここ最近私と出会った方からすると、今のポジティブな私とは真逆の性格の自分がいました。何をやっても上手くいかない、頑張れば頑張るほど評価が下がる・・・そんな時期でも、社員から叱咤激励を受けたあの時を思い出して頑張ってきました。

彼は何やっても続かないよ・・・

そんな周囲の言葉を覆すように、継続出来ることを増やし、三日坊主を克服しました。そして、スタートアップ支援などで成果が上がってきた時、批判していた人たちはほぼ、会社を去っていました。経営者となった13年前に、「お客様のお役に立つために出来ること」という軸たる言葉を掲げ、ご縁を大切にしながら正道を歩めるようにもなりました。

期せずして、中国の成長が停滞し、コンプライアンスがより一層求められる状況となり、追い風が吹き始めました。早い段階から変わる努力を続けていたからこそ、まだまだではありますが、少しずつお客様から評価いただける、私自身が誇らしいと思える会社へと進化を続けています。

話を戻すと、今日のトークイベントの主役でもある藤澤製本のよめさんは、製造業界隈ではSNSを中心に注目を浴びている方ですが、新たな一歩を踏み出す決意をして行動し始めた方です。実際にギフトショーやデザインフェスタなどで会ったこともあるのですが 、厳しい業界だと言われる印刷業でもがき苦しみ、変化を求めて頑張っています。

なにか他人事ではないんです。

私自身、過去に苦しんできたからこそ、今回のトークショーはオンライン配信ではなく、肌で感じてみたいと大阪行きを即決しました。従来の産業が消滅してしまうほどの劇的な時代の変化で、多くの経営者が悩んでいます。私もまだまだ安泰とは言えない中、もがき続けています。

だから大阪に向かっています。

今日は夕方の投稿が厳しいので、この時間にアップしますが、ご了承ください。

こんなことを語りつつ、今日のnoteを終えたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。感謝!

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