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結局「正解」は? ショスタコーヴィチ交響曲第15番第4楽章最後の2分間「時計」をサブスクで聴き比べてみた
ショスタコーヴィチ最後の交響曲、第15番の第4楽章ラストに「時計」のように聞こえる部分があります。ところが初聴きのザンデルリンク/ベルリン響と、バルシャイの全集版では印象が全く違ったんですよ。私はザンデルリンク盤の終わり方にいたく感動していたので、指揮者の解釈によってこんなに違いが出るのかと驚いたんですが、じゃあ「正解」はどっちなのかが気になってきたわけです。
初演は1972年に息子のマキシム・ショスタコーヴィチが振ってるんですが、同じ年に作曲者本人臨席の下ムラヴィンスキーが指揮していて、ショスタコーヴィチから「完璧に正しい」とお墨付きをもらっています。だから「正解」はムラヴィンスキーが知っているわけですが、最初探したときにサブスク(Amazon Music Unlimited)では見つからなかったんですよね。
どうしても気になったので、サブスクで聴ける限りの交響曲第15番第4楽章の終わりにある「時計」の部分(チェレスタの後、ウッドブロックが鳴り始めてから最後までの部分を私は勝手にそう呼んでいます)だけを聴き比べてみようと思いました。こんな聴き方クラシック・ファンの方には激怒されると思いますが、アマオケ時代には自分が弾く箇所だけの聴き比べとか割にやったんですよ。もう楽器を弾くことは絶対ないと思いますけど(笑)。「時計」はせいぜい2分くらいなので大したことはないと思っていたのですが、実際にやってみると結構大変なことになりました。
ザンデルリンク/ベルリン響(1978年)
※最初に聴いたこれを基準にしています。パーカッションはちゃんと大きく鳴っているのに静寂を感じさせる。全ての音が溶け合って人生最後の時を刻みます。そして最後のチェレスタの余韻の残る響き。いや、インデックスにするためにもう一度聴きましたがいい演奏だと思いますよ。「時計」は約1分49秒でした(消えるように終わる曲なのでどこまでが余韻でどこからが無音部分なのかは音盤によって色々です。参考程度に考えてください)。では、聴き比べの開始です。
バルシャイ/ケルンWDR響(交響曲全集版)
※そう、これが全ての元凶でした。これはもう解釈の問題じゃないのかも知れない。「時計」は1分29秒とかなり速いけど、問題はそこじゃない。多分テンポを揺らしているんですが、ウッドはコケてるように聞こえてしまう。いや、コケてるよ絶対。だから時計に聞こえない。最後のチェレスタ前はウッドとスネアの筈なんだけどスネアの音がおかしい。コントラバスみたいにブンブン聞こえる。ちょっと類を見ない変な演奏です。バルシャイは第14番の初演を振った名指揮者だと思っていたのに、交響曲全集のオーラスがこれではダメだと思います。
ザンデルリンク/クリーヴランド管(1991年)
※「時計」が約2分3秒もあり(ただし最後に無音部分があるので約2分でしょうか、それでも長い)、だいぶテンポが遅くなっています。一番最後のウッドとスネアのデクレシェンドを強調したかったのかも知れません(はっきり音列の中でデクレシェンドしているのが分かります。インデックスにした盤では気付きませんでした。これは多分楽譜に指示があるんだと思います)。最後のチェレスタも控えめ。これはこれでアリな気がします。
マイケル・ザンデルリンク/ドレスデンフィル(2019年Sony全集版)
※「時計」は約1分59秒、無音部分がかなりあるので実際は約1分47秒くらいでしょうか。しっかりお父さんの解釈を引き継いでいます。ほぼ完コピです(笑)いや、良いものはそのまま引き継いで貰って全然オッケーなんで。
ヤルヴィ/エーテボリ響(1988年)
※「時計」は約1分29秒でかなり速いですが、解釈自体はザンデルリンク系で標準的。
マキシム・ショスタコーヴィチ/モスクワ放送響(1972年)
※初演の録音ではありませんが、生誕110周年記念BOXで初CD化された歴史的録音。「時計」は約1分22秒とかなり速いです。パーカッションはくっきりしていて時計の感じはしますが、終始強めでダイナミクスの変化があまりありません。最後のチェレスタもかなり強め。
スロヴァーク/スロヴァキア放送響(1989年)
※「時計」は約1分30秒。最初の方でパーカッションが転んで聞こえますが後半立て直します。チェレスタがすぐ鳴るパターン。
ハイティンク/ロンドンフィル(DECCA全集版)
※「時計」は約1分47秒。時間以上にテンポが遅く感じられ、パーカッションが微妙に転んでいるように聞こえます。これはあまり良くないです。
ハイティンク/コンセルトヘボウ(2010年ライヴ)
※「時計」は約1分56秒、無音部分を除くと1分46秒くらい(ライヴですが拍手は入っていません)。テンポはゆっくり系で、聴いた中ではハイティンクはこれが一番良かったです。最後のチェレスタが鳴るタイミングが他の人より凄く遅いんですよ。これ楽譜上は任意なんですかね。
ハイティンク/バイエルン放送響(2015年ライヴ)
※「時計」は約1分42秒。やっぱりパーカッションが微妙にモタってる気がする。この人にとってはこれが正解なんでしょう多分。
コンドラシン/モスクワフィル(1974年)
※「時計」は約1分30秒と速いのですが静寂を感じさせてこれはいい。パーカッションがデクレシェンドしても粒が揃っていて最後のチェレスタのタイミング、響きもいい。
フランティシェク・バイナル/チェコフィル(1983年)
※「時計」は約1分27秒。パーカッションはところどころコケ気味。最後のチェレスタの音がショボ過ぎて悲しくなります(ただ小さい音というのじゃないんです、錆びついて輝きも響きもないような音)。ちなみに検索したら「AIによる概要」に「フランティシェク・バイナルは、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団(チェコフィル)と共演したことはありません。」と断言されました(笑)1982~84年まで首席指揮者だったのに…
ムラヴィンスキー/レニングラードフィル(1976年 ライヴ)
※探していたらなんとショスタコーヴィチ公認の「正解」が出てきちゃいました。もちろんショスタコーヴィチの前で振った1972年の録音ではありませんが、彼の第15番の録音はこれ以外に無いようなのでこれをもって「正解」とするしかありません。楽章全体のテンポはザンデルリンクよりかなり速く、「時計」も約1分22秒でめっちゃ速いです(ライヴで最後に拍手が入るので正確な時間は分かりません)。最後のチェレスタもすぐ鳴る感じ。そうか、これが「正解」なのか。時計の感じはしっかりしますが、時の進み方が早いんですね。「死は安息ではない、ただの終わりだ」と考えていたというショスタコーヴィチ的にはこの性急な感じが正解なのかも知れません。ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチに特に敬意を持っていたようで、彼の最後の録音はショスタコ第12番、以後亡くなるまで一切録音活動をしていません。そういう人が振った「正解」です。でも、と言いたい。私はザンデルリンクの方が好きです。死ぬ時くらいはゆっくりしたいじゃないですか。
※もう正解は分かったのでここでやめれば良かったのですが、惰性で続けてしまいました。
インパル/ウィーン響(DENON全集版)
※「時計」は1分25秒と速い。わずかにガチャガチャ系、録音の関係かパーカッションがかなりデッドな音になってます(デジタルなのに?)。最後のチェレスタ前のスネアがウッドより主張しているように聞こえるのも録音のせいかも(デジタルなのに?)。
アシュケナージ/ロイヤルフィル(DECCA全集版)
※「時計」は1分21秒と爆速。楽章全体のテンポもかなり速めでパーカッションだけでなく全体がガチャガチャしている。チェレスタの響きもよくない。すごく雑な感じ。どうした、アシュケナージ?それともオケが悪いのか?
ロストロポーヴィチ/ロンドン響(1989年)
※「時計」は1分26秒とかなり速い。最後のチェレスタの音がかなり小さい。ショスタコーヴィチをよく知るロストロポーヴィチですから明らかにそう解釈して振ってるんだと思います。
ショルティ/シカゴ響(1997年)
※「時計」は約1分35秒。最後の方のトライアングルが強く主張するのがかなり個性的。ウッドを上回るまである。それ以外は標準的。
マーク・ウィッグルスワース/オランダ放送フィル(2006年)
※「時計」は1分30秒くらい。21世紀の録音では速い。
アンドレイ・ボレイコ/シュトゥットガルト放送響(2010年ライヴ)
※「時計」は1分40秒くらい(ライヴで拍手が入る)。ややパーカッションがモタる気がする。最後のチェレスタの後に弦奏がちょっとクレシェンドするなんて初めて聴きました。
ヴァシリー–ペトレンコ/ロイヤル・リヴァプールフィル(2010年)
※「時計」は約1分51秒(無音部分がかなり長くあるので実際は1分40秒ちょっとかと)。ペトレンコもオケもよく知りませんでしたが、理想のイメージに近くて、とてもいい演奏でした。無知ですみませんでした。
ミハイル・プレトニョフ/ロシア・ナショナル管(2008年)
※「時計」は1分40秒。
アンドリス・ネルソンス/ボストン交響楽団(2019年)
※「時計」は1分47秒。
ジョナサン・ダーリントン/デュースブルクフィル(2006年)
※「時計」は1分41秒。パーカッションの縦が微妙に合っておらず時計に聞こえない。
ゲルギエフ/ミュンヘンフィル(2015年ライヴ)
※楽章全体はゆっくり目ですがチェレスタ後の「時計」からはっきりテンポアップして約1分35秒。気のせいかちょっとずつアッチェしてる気がしますがパーカッションに乱れはなく時計の感じもしっかりします。本当にアッチェしてるんだとしたらパーカッションは超絶技巧ですね。
ストルゴールズ/BBCフィル(2022年)
※「時計」は1分36秒。パーカッションがごくわずかにモタる気がする。許容範囲だとは思いますがかなり最近の録音なのでちょっと厳しめに。
ドミトリー・リス/ウラルフィル(2024年ライヴ)
※「時計」は1分33秒くらい。ライヴだが最後に拍手が入るわけでもないのに無音部分が20秒以上ある。演奏は標準的。
※この辺りで疲れ果ててしまいました。最初は「テンポ感・静寂感・時計感・チェレスタの余韻」程度のぼんやりした聴き比べをしていたのですが、これは数を聴くとかなり収束してきて違いが無くなってきました。しかし「木管の音色、スネアの音色(リムを打っているものもある)、最後のチェレスタのタイミング」など別の聴き比べ要素が出てきて収拾がつかなくなってきたのです。まだまだあるみたいですが、Amazon musicの検索のし辛さにも疲れました。最後に変化球を幾つか挙げて終わりにします。
トリオ・メシアン&トリオ・クセナキス(デレヴィアンコによる室内楽編曲版・2023年ライヴ)
※これが意外と良くてビックリしました。打楽器アンサンブルのトリオ・クセナキスの技量が高いんだと思います。しっかり時計に聞こえ、ライヴでも乱れがありません。
G.クレーメル、C.ハーゲン、サハロフ、ザードロ、グッガイス、ゲルトナー(デレヴィアンコによる室内楽編曲版・1995年)
※これもいい。元々が室内楽的なので編曲版の方が相性が良いのかも知れません。この編曲をショスタコーヴィチ本人も激賞していたそうで、「Op.141bis」という作品番号を与えられています。
キム・ミンギョン&ムン・ヒョンジン(ピアノ連弾版・2015年)
※これは編曲ではなくショスタコーヴィチ本人によるピアノ連弾版です(オーケストレーションする前の設計図的なもの?)。「時計」は1分33秒くらい?ピアノ連弾では全く時計には聞こえません。私的にはこれはダメです。
まとめにかえて
結局バルシャイの盤がおかしすぎたんですよ。あれが唯一無二の変な終わり方だったんです。一方でザンデルリンクも普通ではありませんでした。
マキシムとムラヴィンスキーの演奏に代表されるように初期は「時計」が1分20秒くらいの速いテンポで演奏されることが多く、それがショスタコーヴィチ本人の考えでもあったようです。そうすると、「時計」に2分近く掛けるザンデルリンクの解釈(彼はこの部分を「点滴」と呼んでいたようです。完全に「死」につながるイメージですね)は作曲者の意向すら無視した、かなり斬新なものだったことになります。現在は多くのオケが1分40秒前後で演奏するようにかなり収束しています。両者の間を取ったような形ですね。それだけザンデルリンクの解釈に影響力があったと考えることも出来そうです。
パーカッションに求められる技量レヴェルが非常に高い作品で、特に初期の録音はそこで苦労しているようです。そう考えると最初の録音であるマキシム/モスクワ放送響は相当なものです。さすがソ連のオーケストラ。現在はパーカッションの技量が上がっていますから、ここで苦労するようなら手を出すべき曲ではありません。表現すべきものはもっと先にあるんですから。
なぜか全集版に変な演奏が多いという不思議な現象も起こっています。問題のバルシャイも全集でしたし、ハイティンクもアシュケナージもインバルもちょっと(かなり?)変でした。録音時期が早いものが多いのでパーカッションの技量不足が原因かもしれません。
最初見つからなかった「正解」のムラヴィンスキーの盤が見つかって本当に良かったです。でも私はやっぱりザンデルリンクが好きだなあ。結局、「正解」と「好き」は違うのだという、当たり前の結論でした。初聴きの力はやっぱり大きい。