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予備知識無しで初めて聴くショスタコーヴィチの交響曲の感想(その8)「交響曲第8番(ムラヴィンスキー/レニングラードフィル)」「交響曲第10番(カラヤン/ベルリンフィル)」

弟の推薦盤(?)でショスタコーヴィチの交響曲を予備知識無しで初めて聴くという試みはもう終わったのですが、未聴で残った6曲のうちどうしても聴きたい曲が2曲出てきました。それが第8番と第10番です。なかなか聴く時間が取れないので一日で交響曲を2曲聴くというなかなか無茶なことをやっています(2月24日の午前と午後で聴いたのですが、感想以外のところで手間取って今日アップしています)。

既に第7番と第9番は聴いていて、第8番と合わせて戦争三部作と呼ばれていることは知っています。しかし第7と第9は全く性格が違うんですよ。3つまとめることに意味があるのか理解できないくらい違うんです。その答えは第8番を聴かないと分からない(まあ聴いても分からないかも知れませんが)と思ったわけです。

第7番はプロパガンダ交響曲のように言われていて、実際ソビエト当局によって徹底的に利用されてしまっています。しかしショスタコーヴィチ本人の気持ちはもっとプリミティヴな郷土愛の自然な発露ではなかったかという印象を捨てきれません。そこで生まれ育ちそこから一度も外に出たことがなかったという故郷レニングラード、ドイツ軍に包囲される中で軍に二度志願し二回とも断らわれています。仕方なく、あくまで一人の市民として塹壕を掘ったり、消防隊として音楽院を守るために屋根に立ったりしています(その様子もプロパガンダに利用されてしまいますが)。第7番はこの包囲の中で作曲が始められ、政府から疎開を勧められても一度断っています。レニングラード包囲戦は要するに兵糧攻めですから100万人以上とも言われる市民の死亡理由の95%が餓死でした。ショスタコーヴィチもその窮状をある程度は見て知っているわけです。その後退避命令が出てショスタコーヴィチは故郷を逃れて疎開先で曲を完成させるわけですが、当然のように彼はこの曲をレニングラードに捧げています。「思いは常にレニングラードと共にあり」、彼がそういう気持ちだったと考えるのはごく自然なことのように思います。

しかし作曲者の気持ちとは別に当局はこの曲を徹底的にプロパガンダとして利用しました。特にレニングラード初演のエピソードは劇的です。ムラヴィンスキーもレニングラードフィルもショスタコーヴィチより先に疎開していてこの地にはいませんでした。指揮者はカール・エリアスベルク、オケはレニングラード放送管弦楽団を中心にした寄せ集めの楽団員たち、多くがレニングラード市民でした。一般市民と同様に飢餓で衰弱しており、演奏会を可能にするために特別に食料の配給が行われたそうです。そして初演の日はヒトラーが指定したドイツ軍の侵攻予定日でした。演奏会を成功させるためにソ連軍は露払いとばかりに包囲する敵軍に向けて一斉砲撃を行い、ドイツ軍を黙らせることに成功します。ですが、オケは本当に限界だったようです。指揮者は骨と皮だけの幽鬼のようであり、ゲネプロで、そして本番でも衰弱死する楽団員が出たと言われています。聴衆は目の前で何が起こっているのかよく分かっていました。もちろん最高の演奏ではなかったでしょう。しかし演奏後は総立ちとなり拍手は一時間鳴りやまなかったとされています。このレニングラード初演はラジオで全国放送されたのはもちろん、レニングラードを守るソ連軍兵士に、そして包囲するドイツ軍に向けてスピーカーでの放送も行われました。ラジオでこの演奏を聴いた一人のドイツ軍兵士が後にエリアスベルクに会って「我々はレニングラードを落とすことは決して出来ないと思った」と語ったともされています。

ね、プロパガンダ大成功でしょう?そして、この成功はショスタコーヴィチの天才あってこそなのは間違いありません。しかしその責を彼に問うのは何か間違っているとしか思えないのです。それは余りに意地悪な見方というものです(バルトークお前のことだよ)。

そしてこの第7番から一つ飛んで、「軽妙洒脱な、わずか演奏時間25分の第九」が来るわけです。これが「戦争三部作」と言われても、あまりに飛躍があり過ぎるんですよ。その間をつなぐ第8番はどうしても聴いてみなければならないと思った次第です。

交響曲第8番(ムラヴィンスキー/レニングラードフィル)1947年

※実はお薦め盤を教えて頂いていたのですが、ムラヴィンスキー指揮で初演に近い時期のものがAmazon Music Unlimetedで出てきたので、これを選びました。録音状態は当然あまりよくありませんでしたが(第1楽章にスクラッチノイズがありました)、さすがムラヴィンスキー/レニングラードフィル、古いとか録音が悪いとかを超えた何かがありました。

(初聴き)

第1楽章、悲痛だけれど美しすぎる弦奏に圧倒される冒頭。一体どこへ連れて行ってくれるのか期待しかない。木管が入ってくる。シンコペーションに載ったこれも美しい第二主題。弦主役でずっと行くのかな?そんなわけない、どっかで管がドカンと入って来るんだろうけど、もうずっと聴いていたくなる弦の美しさ。管が入ってきても弦が主役を譲らない。重い、苦しい、そして美しい。15分過ぎてリズムが変わったけど、まだ悲痛なトーンは変わらない。あ、初めて金管が前に出てきて軍隊行進曲みたいになる。そしてパーカッション連打の中コラール。続いて弦トレモロの上でオーボエ(コールアングレかも)のソロ。二管になる。この楽章は凄い。25分もあるのに緊張が全く解けない。最後はまた弦が主役になって、きっと静かに終わる予感がする。冒頭の再現。そしてやはり静かに少しだけ光を見せて終わる。

第2楽章、スケルツォなんだろうけど明るいのか暗いのか見分けがつかない。木管の受け渡しに諧謔性があるのは分かるんだけど、今日はずいぶん皮肉っぽいじゃないかショスタコーヴィチ。第1楽章の悲痛さを引きずって気持ちが宙ぶらりんだ。ああ、最後になってちょっと笑ったね。あっという間に終わる楽章。

第3楽章、これはヴィオラか?こんなに大きな音が出る楽器だったっけ?これは滅茶苦茶カッコいいぞ。暴走機関車か?ハチャトゥリアンか?執拗に反復される音型。リズミカルな短い楽章を二つ置いて、嫌でも次の楽章への期待が高まる。ああ、やっぱりアタッカで次につながるんだ。

第4楽章、いやホントに凄い。ずっと弦が主役。悲痛な旋律をフーガみたいに紡いでいく。半分過ぎてホルンが支えるように出てきて、フルートはさすがに歌う。第1楽章よりは明るいけど悲痛なトーンは共通している。これ、最後どうなるの?ここから終楽章が明るくなる予感が全くしないんだけど。あ、またアタッカで行くのか?

第5楽章、はい、やっぱりアタッカでした。そして一応明るくなるんだ。まだハッキリしないけど、夜は明けたんだ。でも明と暗のメーターがあったとしたら、明に行きかけても必ずまた暗に引き戻されて、ずっと真ん中あたりで宙ぶらりんのまま。しかもそれがとびきり美しいと来てるから始末が悪い。最後はピチカートの弦が微かに明るさを見せて、そのまま静かに終わる。

これが戦争三部作の真ん中だということはあまり考えたくはなかったんですが、考えざるを得ない暗さがありました。自分の身の置き所がない感じ、ずっと宙ぶらりんで希望でも絶望でもない状態。それが戦時下というものだったのかもしれないと思わせるものがありました。ただ、これは本当に美しい曲なんですよ。また是非聴いてみたい。そんなにややこしいオーケストレーションじゃないと思います。ちゃんと分かるし、浸りきろうと思えば出来るのかも知れない。ただ、初聴きの私はずっと宙吊りのままで緊張して聴いていました。

(解説を読んで)

うん、暗くて人気がない、と。そうでしょうね。スターリングラード攻防戦の犠牲者への墓碑として書かれた曲が勇壮な第7番みたいになる筈がないと思うのですが、何を期待されていたのでしょう?きっとプロパガンダに使えなかったから怒ったんでしょうね、「ジダーノフ(による)批判」の対象になり、1960年まで演奏が禁止されています。そんなに危険な曲だったんだ。多分一市民・一兵士から見た戦争を克明に表現した本当の「戦争交響曲」だったからじゃないですかね。そこには希望も絶望もない、ただ宙吊りにされて誰かが必ず死んでいく日常だけがある。

1943年9月の作曲の時点で戦局はソ連側にとって好転していたと言われています。しかしそれはまさにスターリングラード攻防戦で100万人以上の犠牲者を出した上でのことでした。好転して良かったねみたいな曲を書くヤツがいたら殴ってやりたいと思うのですがどうでしょうか。意地でも勇ましい曲なんか書いてやらない、プロパガンダに使われる曲なんて金輪際書きたくない、すごくショスタコーヴィチの気持ちが分かる気がするのですが、単なる私の勘違いでしょうか。間違いなく勘違いだと思いますが、単なる個人的な感想なので別に構いません。これは解説読んで背景を知って勘違いが確信に変わるという良くないパターンですね。でも第2楽章がこの前聴いたばかりのジャズ組曲第2番(と思われてた曲)の引用とか全然気づかなかったのはマズい。

第7番と第8番はショスタコーヴィチなりに真摯に戦争を描いているのに対して、第9番は当局を揶揄している可能性が高い気がしてきました。第8と第9はプロパガンダ拒否の共通項で括れそうな気もします。そこで来るのが「ジダーノフ批判」、危うしショスタコーヴィチ。そこでどう出る?第10番。では聴いてみましょう。

交響曲第10番(カラヤン/ベルリンフィル)1981

※DGのなんか傾いてるジャケットのやつです

(初聴き)

第1楽章、うむ、カッコいい。低弦誘導で重々しく始まり、時々立ち止まる。じわじわとじっくり時間を掛けて盛り上げてくる。最初の山場を軽く乗り越えると木管のソロからフガート開始。これこそが本当の第9番だったんじゃないの、ってくらいの重厚さ。長さも22分33秒。まだ半分なのにこんなに盛り上げちゃって大丈夫なの?大丈夫でした。弦のトゥッティに乗った金管が思う存分吠えた後、一度収まって最後のもう一山の準備に入りました。低弦のピチカートに乗ったファゴット始まりのフーガ、木管が引き継いでいって、最後は弦。ほらティンパニ鳴った。あれ?来ない。最後に山場は来ないんだ。え、ひょっとしてアタッカになるの?違った。低弦のピチカートと木管で静かに終わりました。

第2楽章、何これ、ストラヴィンスキーみたいやん。滅茶苦茶カッコいい。これ木管めっちゃ大変やん。いや全楽器大変ですよ。最初から最後まで全力疾走の4分15秒。キング・クリムゾンとか好きな人はこれ聴いたら絶対好きだと思うような凶暴さ。これ何の引用だろ?

第3楽章、これ、スケルツォなんですかね?もう全楽章カッコいいで行くつもりなんですかショスタコーヴィチさん。凍り付いた宮殿で亡霊たちが典雅に踊るワルツみたいな、弦の旋律が美しく冴え冴えとして冷たい。ホルンから調子が大きく変わりました。二度目のエコーで小さい音で吹くの難しいんですよねホルン。突然始まったワルツみたいなのがどこか毒があって、そこからのトゥッティが凶悪な雰囲気で一度頂点まで行きます。最後は今まで出てきた主題を再現しつつ静かに終わります。だからホルンピアニシモで吹くの大変なんだって。今回すごくシリアスですよ。諧謔性とか今のところほとんどない。

第4楽章、全楽章低弦始まりじゃね?いや、カッコいいよ。カッコいいけど、美しいけどまた暗いって言われそう。ほらまた立ち止まる。終わり方が見えない。また第8番みたいになるんじゃないのこれ。弦伴奏の上を木管ソロでゆったりと受け渡していくいつものパターン?あ、ちょっと気を抜いてたら突然木管始まりの高速フガート始まりました。いや、ちょっと気持ち置いていかれてます。低弦のところでやっと追い着いた。ファゴットとスネアのところでいつもの諧謔っぽさが出てきました。ああ来る、これは来る。ベルリンフィルの木管すげえ。最後こうなるのか。この2分間、並のオケなら死んでますよ。こう終わるための今までの全部がフリだったわけですか。何かもう、してやられたって感じがしてちょっと悔しいけど、凄い。

ちょっとどこで置いていかれたのか確認しましたが5分43秒、そこまでは木管のソロでゆったり受け継いでいたんですよ何ならリットまで掛けて。その同じ音型で突然倍速になるんです。最初からここで置いていく気満々です。やられたなあ。いや、私は爽快な気分ですが、これはどう評価されてるんだろ。

これは掛け値なしの難曲だと思います。超絶技巧連発ですよ、オケは大変だろうなあ。カラヤンめ、「ショスタコやるなら10番ね」とか言ってそう(笑)


(解説を読んで)

そうか、1953年にスターリンはもう死んでるんですね。第9番から8年も経ってて何ならヤツが死ぬのを待って発表された可能性ありだと。スターリンがいなければ「ジダーノフ批判」も怖くない(というかジダーノフは1948年に亡くなっています)。そして初演時はソ連の楽壇賛否両論真っ二つだったと。どこで揉めたのか気になりますね。多分音楽的な問題じゃなかった気はしますが。

第10番はカラヤンが録音した唯一のショスタコーヴィチ作品、なんと本人の前でも振ってるそうです(1969年)。って言うか、カラやんホンマに「ショスタコーヴィチの曲をやるなら第10番」って言うてはりましたわ(笑)。きっと難曲だからですよ、ベルリンフィルを御して見せる自信があったんです。ショスタコーヴィチからは「こんなに美しく演奏されたのは初めてです」と含みのある言葉を掛けられていますが、カラヤンは気にしなかったでしょう。「そうでしょう、美しく演奏して見せたんですよ」くらいは思っていたでしょうから。

ショスタコーヴィチ本人が第2楽章を「音楽によるスターリンの肖像である」と言ったという記述もありますが、例の偽書の疑いのある「ショスタコーヴィチの証言」の中の言葉ですからね。悪魔的でカッコいいのは悪のヒーローっぽくて逆に皮肉じゃないかな。ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」の引用のようです。

あとは解説はDSCHの暗号の話でもちきりです。こんなのは素人には分かりません。BACH音型とか、そういうのが初聴きで分かる人は凄いなあと思いますが、私なんかには無縁な話です。もちろん、初演時の聴衆のクラシック的素養が非常に高くて、聴く人みんなにこの暗号が通じていた可能性はあります。しかしそうなると、もう素人はクラシックを聴いてもどうせ意味なんて分からないことになってしまいます。解説を読んで分かったような気持になるのと、いきなり出会って分かるのじゃ全然違うんですよ。私には暗号は分かりませんでしたが、最後の2分間で「我ショスタコーヴィチこれにあり」と大見えを切って見せたのは確かに分かりました、それだけで私には十分なんです。しかし私の感想は素人丸出しだなあ、誰も最後のところで置いていかれてもいないし、驚いてもいない。私だけですか、そうですか。

第8番と同じ日に聴いたので、途中までは嫌な予感しかしませんでした。構成も似てるんですよ。暗くシリアスで、途中に暴力的に疾走する短い楽章があって、終楽章前までは暗くてホルンが寂しく鳴る。ああ、またかと思ったら最後に鮮やかにひっくり返されました。この幕切れはスターリン体制の終焉、雪解け、それが込められているんでしょうし、この第10番こそが「戦争交響曲の完結編」なのだという発言は「スターリンとの戦争」を意味しているんでしょうが、それは私にはよく分からないことなので敢えて無視します。音楽もド素人なのに情報量増やされても困るんですよ。この曲を初めて聴いた私は、ずっと苦虫を嚙み潰したようなシリアスな顔をしてたから、すっかり騙されて最後に爽快にしてやられましたよ、ショスタコーヴィチ。最高だよ!

これで第4番から第10番までがつながりました(第4番の初演は第10番の8年後ですが)。つながって何が分かったということもあまりないのですが、好きな曲が2曲増えました。1969年の盤がサブスクにあったら聴きたいですね。

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