東日本大震災の遺構を巡ってきた 仙台市立荒浜小学校震災遺構
宮城の祖母の家に寄る前に、東日本大震災の跡地を巡ってきた。
震災から13年。東日本大震災の跡地らしい場所を巡るのは初めてかもしれない。
訪れたのは、仙台市立荒浜小学校震災遺構。建物の周りには田んぼと森しかないような場所で、「小学生の子たちはどこから通っていたんだろう?」と思いながら駐車場に車を停めた。
校舎の外壁には津波が到達したラインを示す赤線が引かれていた。
線は2階まで達していて、別の場所を見ても、確かに2階まではベランダの鉄格子が破壊されていた。
4階は当時の記憶を語る人々の話を記録した動画や、当時の荒浜の写真が並べられていた。
その映像の中で、ここに到着するまでに車で通ってきた田んぼや森があった場所には、当時は多くの家々があったということを知らされた。
震災前は多くの家があったけれど、今あるのは木々と荒野だけ。
それに気づかず車で走り続けていたらしい。
映像の中で、当時小学6年生だった女性が言っていた。
どれだけAIが人のように喋るようになったとしても、人が経験したことや、その経験を踏まえて抱いた感情は、人から聞いていきたいと思う。
東日本大震災の記憶は、経験した人と、その経験談を聞いた人から、聞いていきたいと思った。
小学校をあとにして海へ向かうと、慰霊の塔が建てられていた。
塔の高さは、当時の津波高さと同じ9mで建てられているらしい。高さという情報にも大事な意味が込められていて、この意味も語り継いでいかないといけないことなんだろうなと感じた。