②東大大学院への受験勉強
東大というと苦い思い出がある。若い頃に何年も受けてすべて不合格だった。成績が良くもないのに「そもそも受けなきゃ合格もありゃしねえ」と受け続けた40年前のおのれのバカさ加減には、呆れ果てる。「でも大学院なら、なんとかなるのではないか?」おいおい。この辺り、50過ぎても「バカは死んでも治らない」を地でいくバカっぷりである。
調べてみると、東大院にもいくつか社会人コースが存在する。でも、社会人向けの夜間や土日のコースは、ついに見つけることができなかった。しかしバカはこう考える。「合格した後のことは、その時考えることにして。まずは受けてみようじゃないの」と。
自分の興味に近い専攻を調べると、過去の社会人入試問題が大学HPに載っており、その専攻ではTOEFLテストと時事問題の小論文が課されることがわかった。この1次試験に通れば、2次の面接に進むことができる。
時事問題は得意な方だが、何しろ出題範囲が広すぎる。これは新聞を毎日読む以外に効果的な学習法はないなと、ここには労力をかけないことにした。ただ、小論文形式なので書く練習は必要だ(このnoteのように)。テーマを勝手に決めて、過去問にある300字と1000字の文章を書く練習をした。結局ヤマは当たらなかったが、それでも起承転結を意識して、書けるようになった気はする。
一所懸命勉強したのが、英語である。かつてTOEICで800点を取ったことはあるが、それも30年近く前のこと。米国留学もしたが、明らかに錆びついていた。しかし語学は、努力すればある程度までは上達できる。それは自分の経験でもそうだった。
TOEFLを受けるのは約30年ぶり。さぞや変わったことだろう。40年ぶりに電話帳のような分厚いTOEFL過去問題集と英英辞典を買い込んで、こちらは毎週勉強した。今になって思うと、英語が大して進歩したとは思えないが、TOEFLテストがどういうものなのかが徐々にわかってきた気がする。よくいわれる「傾向と対策」である。
かつてTOEFLテストは、大教室で一斉にスタートし、リスニングではテープレコーダーの音をみんなで聞いたものだ。もちろんスピーキングはなし。ところが、現在のTOEFLテストは、1人1台のパソコンがあてがわれ、受験生は思い思いのタイミングでスタートできる。このシステムの進化には、かなり驚いた。
確かにリスニングは、ヘッドホンで聞いた方が合理的だし、英作文がキーボードで打てるのも、手書きよりイケてる感じ。マイクがついているので、スピーキングも(採点方法はわからないが)答えることができる。そしてテストが終わると自由解散。若い受験者と一緒に新しいTOEFLテストを受けることが、すっかり楽しくなってしまった。点数は半分しか取れなかったけれど。
ところで、英語の学習について思い起こしていたら、浪人時代の代ゼミの講義が結構インパクトあったことを思い出した。ググると懐かしい写真が出てきた。
当時、一番人気だったのは原秀行講師だった。とにかく話芸が天才的で、エロネタと英語のポイントがマッチしたお笑い芸人真っ青のクオリティであった。でも、私がよく思い出すのは徳重久雄講師である。どこかシニカルで、嫌味っぽい雰囲気なのだが「自分の背丈の高さまで、洋書を読みなさい。そうすれば、英語は驚くほどできるようになる」という発言は、いまだによく覚えている。あれから40年近く経ったが、いまだに背丈まで洋書を読めてはいない。せいぜい膝下の半分くらいか。面白い人だった。閑話休題。
さて、大学院受験で何より大事だったと思われるのは(将来の)指導教授と話をしに行ったことである。私の受けた専攻ではオープンキャンパスもあり、1度で複数の先生たちとお話しする機会があった。そのイキオイで、私はオープンキャンパスを欠席していた先生にも会いに行った。本郷キャンパスでお会いしたが、改めて東大はステキなところだなと楽しくなれたのも良かった。40年前も、もっとこのキャンパスに遊びに来ていたら、もっと本気で勉強できたのだろうか?50過ぎのおっさんが、意味のない問いを三四郎池で考える。まるで様になっていないが、気持ちだけは盛り上がって行った気がする。こうしてあっという間に1年が過ぎ、受験の日がやってきた。