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浮世絵の絵具一覧

江戸期の浮世絵の絵具を、包括的に紹介した資料が少ないことに気付き、知ってもらえたらと思い、まとめることにしました。
(※尚、江戸時代含め摺師の使用する絵具には変遷があります。近現代の浮世絵の復刻には時代ごとの化学合成絵具が使われ、江戸時代の浮世絵の絵具の使用及び知識は、従事者の間では既にかなり以前に途絶えていると言えます。そして復刻において、江戸時代の浮世絵の絵具の研究と使用に本格的に取り組みこだわったのは、立原位貫さんという人しかいません。)
当時の絵具を解明し再現することは自分の仕事の重要なテーマです。今後それぞれの絵具に関してより詳しい説明を公開していきます。(この記事はあくまで書きかけのものになります。)

                    赤系統                 

・細工紅ー赤を出す際の基本色です。紅花の花弁から精製されます。その製造は長らく(少なくも戦前にはほぼ)途絶えていましたが、2008年の立原位貫さんの復刻プロジェクトの際、伊勢半本店という老舗紅屋さんによって復活し、現在は製造・販売されています。http://www.isehanhonten.co.jp/products/saiku.html

 (但し、高価な点、製法が往時とは異なるように見受けられる点、調査研究の点から、2018年冬以降は購入せず自作するようにしています。)

その高価さのため江戸時代の摺師は"金の如く"惜しみながら使ったと文献には残されています。現代でも高価な絵具であることに変わりはありません。
細工紅より赤の純度の高いものに小町紅というものがあります。基本的に絵具ではなく口紅用ですが、一部上物の浮世絵には使用されたと言われています。
細工紅は熱と光に弱く、経年により退色しやすい絵具です。残念ながら現在の摺師でこういうものを使う人はいません。


・ベンガラ(紅殻)ー江戸時代においてベンガラの製法及び種類は種々ありましたが、浮世絵には"ローハベンガラ"(礬紅)、または"鉄丹ベンガラ"の二種が用いられたとされています。前者はローハ(緑礬・硫酸第一鉄)というものを燃焼することにより作られ、後者は鉄錆の燃焼によって作られます。目下実験に取り組んでいるので、近いうちに製法含め詳しく公開する予定です。


・鉛丹ー鉛を硝石ないしは明礬と熱することにより作ります。まだ試していませんが実際に作ってみようと思っています。経年により黒変し、広重の東海道五十三次の空のぼかし等にその使用例が見られます。


・水銀朱ー水銀と硫黄を混ぜ加熱することにより作られます。江戸時代、その製造と販売は幕府により規制されており、長崎貿易及び琉球貿易を通しての中国からの輸入品以外は、国内では泉州堺のみで製造が許可されていました(少なくとも1700年以降)。
その一方規制の目をかいくぐり、公的手続きを通さない私造朱が出回ることも多く、享保年間(1716~36)以降、たびたび取締りが行われていたことが文献からはうかがえます。
この絵具もいつか自分で作れたらと思っています。
朱は天然にも産出しこれは辰砂と言います(化学式は共にHgS )。ただし当時その主な用途は医薬品だったと言われています。全国の「丹生」という地名はこの辰砂の産地に由来しています。


なお細工紅はベンガラ、鉛丹、水銀朱と混ぜて使われる例も多かったと言われています。

(2020年4月現在、上記の他、蘇芳が使用された可能性が高いと思われる作品が確認されているという報告を受けました。)

青系統                 ・ベロ藍ー初めて日本に輸入されたのが1747年、初めて絵具として絵画に用いられたのが、1766年の伊藤若沖の作品で、初めて浮世絵に用いられたのが1829年の英泉の団扇絵と言われています。ただし上方浮世絵においては格段に早く導入がされています。(少なくとも文化(1804~17)後期以前。)     

ベロ藍は最初はオランダから輸入されますが、1820年代後半からは中国からの輸入が主流となっていきます。

現代、浮世絵のベロ藍というと一つの絵具・色を指してるように見られがちですが、当時の作品を観察・比較したり、文献を探ったりすると、江戸時代のベロ藍には様々な名称と種類があったと考えられます。
少なくとも、ここ数十年の間だけでも摺師の間で使われるベロ藍には変遷があって、一昔前まで使われていたベロ藍は金ベロと言われ、現行のものより少し黒みがあります。

ベロ藍の製法が江戸と現代では基本的に異なっていて、当時の製法を研究すれば、こういった色味の問題も解決出来るかもしれないと思っています。只当時のベロ藍は基本的に動物の血液から作られていて、血液の入手に少しハードルを感じています。いずれにせよ、世間一般で見られる説明は別として、実際のところベロ藍はまだまだ謎の多い絵具なので、今後多くを語っていくことになります。

・本藍ー藍染時に染色液上に発生する色素を集め、糊ないし膠で固めたものが最初期には用いられます。紅摺絵時代にその使用例と思われる作品が確認されます。これは灰緑がかった、くすんだ青色でまだ作ったことはありませんが、今後絶対作ろうと思っています。
その後1794年の写楽の役者絵をはぎりに、ベロ藍と肉眼では識別できないとされる美麗な本藍が登場しますが、この改良藍の使用はごく例外に留まります。(この本藍の製法は全くの暗中模索状態です。)
文化(1804~17)半ば過ぎまでは本藍の使用は例外的で、文化末から次の文政(1818~29)にかけその使用頻度はどんどんと高まっていきます。(※青色部分単体に着目した場合の話です)
本藍の製法には藍染布を煮だして色素を抽出するやり方があり、その製法がいつ発見されたのかは、今のところわかりませんが、上記の本藍の普及しだした年代と関連していると思われます。

(2020年4月現在、上記の藍の色差は根本的な製法の違いではなく、精製段階ないしは使用段階での、「灰汁抜き」によるのではないか、という可能性が出て来てます。詳細は今後検証してお伝えします。)

・青花紙ー露草の改良大型種の染液から作られます。幸いなことに、いまだ滋賀県にてその製造が続けられています、が需要も生産者も少なく安心は出来ません。最も退色しやすい絵具でオリジナルではあまり見られない色です。経年と共に灰色、無色ないしは黄褐色へと変わって行きます。前述の本藍の使用頻度が高まる時代までは、この絵具が青絵具のメインとして使用されています。

※上記の本藍と青花紙の使用時期に関しては、画中の青色部分単体に着目した場合のことです。本藍が殆ど使用されず、青花紙が青の中心として使用されていた時代においても、緑に着目すると(浮世絵の緑は通常、青と黄色の色材の混色です)、かなりの頻度で本藍が使用されているように見受けられます。これがなぜなのかは大きな疑問です。


黄色

・ウコンーウコンの根を煮だして作ります。光に弱い絵具です。最もよく用いられた黄色の一つです。浮世絵には、かなり早くから導入されていたと思われます。丹絵時代(製作時期1700~1720年頃)の作品からも検出されています。(同作品からは他に鉛丹と辰砂、墨も検出されています。参考文献:山領まり編「絵画修復報告No.3」1994)

(2020年10月追記:ウコンは享保年間(1716~1736年)に渡来したとも言われていることから、上記調査で検出されたのはウコン以外の可能性があると思われます。)


・石黄ー硫黄と砒素からなります。江戸時代の初期は中国や東南アジアから天然鉱物として輸入されていて、18世紀初め頃から会津地方にて人工的に作られるようになります。硫黄と砒素のバランスにより黄色~赤味のあるものまで作れたようです。
現在は製造されていませんが、30年位前までは製造がされていたそうです。
江戸時代において、天然物は絵具以外にも医薬品として使われた一方、
人工物は毒性が強く、絵具としてのみ使用されていたようです。
いつから浮世絵に導入されたかは定かではありませんが、少なくとも1785年の鳥居清長の役者絵からは検出されています。不透明性で被覆力があり、摺った際、下地の墨線をくすませる特徴があります。
2年前に、どこかにこの絵具が在庫とかで残っているお店はないかと探し、天然物を絵具として売っているお店を、一軒見つけ出したのですが、今年になってどうやら、その時購入したものは石黄では無いという疑いが高まり、再度探し求めることにしました。(そのお店の主人が知ってか知らずかは分かりません。)
有毒性のため自分で作るのはハードルの高い絵具です。只一応供給は見えてきてます、詳細は追ってお知らせします。


・藤黄ー海藤というオトギリソウ科の常緑樹の樹液から作られます。当時は全て中国から輸入されていたそうです。春信の作品(1765~1770)には多用されていますが、それ以降の作品にはあまり使われていないと見受けられます。当時この絵具は高価だったと文献には書かれています。現在も色材として日本画等には使用されています。

上記以外にもズミやキハダの絵具が、オリジナルの絵具として文献上には散見されますが、実際の科学的調査では確認されていないという研究報告があります。(2020年4月現在、キハダの使用が科学分析において確認されているという報告を受けました。)
また江戸時代の浮世絵の絵具としては文献には出てこない黄土が、実際の調査では検出された例があります。
黄色もまだ未解明な部分が多い絵具です。


黒系統
・墨ー墨は松煙墨と油煙墨に大別できます。前者は松を燃やした煤から作られます。西暦610年に韓国より製法が伝わったと言われていますが、国内での実質的な製造の開始は1600年前後と言われています。後者もほぼ同時代に製造が始まり、こちらは胡麻や菜種の油を燃やすことで得る煤から作られます。これらの煤に香料と膠を加えて固めたものが墨の完成品です。摺りに使う際は2、3ヵ月水に浸け、膠分を取り除いてふやかしたものを乳鉢で擦り潰して使います。これは古くから摺師の間で行われて来たやり方で、効率よく液体墨を得るためだと思われます。(現代の摺師の間では墨汁、練墨なども使われています。)
(ただし1878に出版された高松豊吉著 「On Japanese pigments」には、摺りには膠で固める前の粉末状のものが広く使われていると書かれています。)
大首絵の髪の黒色等には艶墨というものが使われますが、これは膠分の多い光沢のある墨で上記とは溶かし方が異なります。


白系統
鉛白ー日本では692年に一人の僧が中国文献をもとに、鉛白を造り献上した旨の記録が残っています(製法が伝わったのは恐らくこの頃ですが、もの自体の渡来と使用はそれ以前に行われており、古墳時代(300~551)の壁画からも検出されています)、が実質的な製造は17世紀初めからといわれています。
高松豊吉「On Japanese Pigments 」(1878年)によると、(1878年現在における国内での)その製法は十中八九中国から伝わって来たもので、中国で2000年以上前から行われて来た製法にとても似ていたそうです。
1878年当時の日本における鉛白の製法としては、その製法が行われていましたが、世界に目を向けると他の製法も存在していたと思われます。それは今回は割愛します。
その具体的な製法ですか、酢を炭火で加熱し発生したその蒸気を、密閉された樽のような容器の中で、鉛に当て続けるというものです。
粒子の細かい高品質の鉛白は化粧品や七宝焼きの原料に、二番手、三番手のものが絵具・塗料に使われたそうで、こちらは黒変しやすかったそうです。江戸時代の浮世絵を色々眺めていると、雪や波しぶきの表現、美人画の着物等にその使用が見受けられます。
ちなみに当時、化粧に使用された"おしろい"とは高品質の鉛白に香料等の添加物を加えたものです。
自分で作ろうと思い目下実験中です。

・胡粉ー貝殻を粉砕することで作られます。原材料の貝殻は早い時期には蛤が、その後牡蠣へと変わっていきます。現代も原材料として蛤、いたぼ牡蠣が使われますが、その採取量不足から代替原料として帆立貝が使われることもあるそうです。貝殻胡粉は室町時代1393~1573)の絵画に、初めてその使用が確認されます。(それまでの白絵具は鉛白ないしは白土と呼ばれるものでした。)
江戸時代の浮世絵の使用において、鉛白とどのように使い分けがなされていたのか、今のところ不明ですが、鉛白の方が被覆力が大きく高価な絵具だったというところに、何かヒントがあるのかもしれないと思っています。


以上が江戸期の浮世絵の絵具の一覧です。
紫や緑といった色は上記絵具の混色により作られます。(但し紫は基本的には細工紅と青花紙と決まっています。)
微妙な混色や似た色も多く、また退色しやすいといった性質上、一枚の浮世絵に使われた絵具を、肉眼によって全て解読するのは不可能です。今後科学的な分析の機会を得て、更なる解明を進めて行きたいと思っています。(なお他に群青・緑青・青貝・雲母・金銀銅等もあります。基本色ではないので今回は割愛しますが、前述一覧の絵具含め、一つ一つ今後また詳しく紹介していきます。)

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