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図書館にない本:公営の本棚がさりげなく排除するもの

前回のnoteに書いた通り、現在の私は、会社員時代の鬱憤を晴らすように読書に勤しんでいる。
読みたい本を紙に箇条書きにし、図書館のウェブサイトで所蔵館を確認し、近場にあるものから借りて、断捨離の合間を縫って読んでいる。

何冊もの本を蔵書検索エンジンで調べていると、ある本に対する世間の評価は、私自身の評価や仲間内での評価とは違うのだな……と改めて認識させられる。
好みの本ではないけど話題になってたから読んでおくか、と思って検索した本がすべて借りられ、予約100人超えになっていたり。
SNSで相互フォローの人たちが軒並み褒めていたエッセイを調べたら、所蔵館がかなり少なく、世の中ではそんなに話題になってない!? と驚いたり。

そしてもう一つ、大きな発見があった。
自殺者の手記や、自殺に関する本は、ことごとく蔵書から排除されているのだ。

本好きの人、特に幻想文学やゴシックなものを好む人たちの間で愛読されている『八本脚の蝶』という本がある。
二階堂奥歯という女性の編集者の日記で、自殺するまでの行動や葛藤が綴られているという。
高原英理が『ゴシックハート』という著作の中で言及していたのを読み、私もいつか読もうと思っていた。
しかし、図書館のウェブサイトでは、一件も引っかからない。
買うしかないってことか……やや勇気が要る。

また、自身のリストカットや希死念慮を綴ったブログが人気を博し、一部では「ネットアイドルの先駆け」などと言われている南条あやの手記『卒業式まで死にません』もヒットしない。
もしやと思って『完全自殺マニュアル』も検索したが、やはり出てこない。
作者の鶴見済が書いた別の本は何冊か出てくるのに、一番売れたはずのものが置いていないのだ。

図書館がこういった本を置かないのは、読者を死に向かわせるリスクのある本は有害である、という判断によるのだろう。
まあそうだよな、と感じる反面、納得しきれない部分もある。

確かに、『完全自殺マニュアル』に関しては、内容を実行してしまう人がいるだろうし、置かないのが正解だろう。
しかし、死にたいという気持ちを誰にも打ち明けられなかった人が、同じ思いを抱えていた誰かの手記に出会って「一人じゃない」と救いを感じる可能性もある気がしている。
自分の中にある希死念慮を言語化してくれる本に出会ったことで、希死念慮の発端となっている問題を見つめ直したり、誰かと思いを共有したりできるようになる場合もあるだろう。
「好きな本は『八本脚の蝶』です」「え、私も!」――そんなやり取りが、もう少し生きる理由になることだってあるのではないか。

自殺者の手記だから、という理由だけで公共の図書館から排除するのは、本当に地域住民のためになっているのか。
救える人を救えなくなっていないだろうか。
死について考えたり語ったりすることがタブーにされてしまうことで、死というテーマに向き合わざるを得ない人たちは一層孤独になるのではないか。

この件でずっともやもやしている。

そもそも図書館が本を購入する基準ってどうなってるんだろう。
誰が決めてるんだろう。
司書が会議をして決めて、自治体の人が承認するのが筋だと思うが、その場合、非正規雇用の司書は意見を言わせてもらえるのかな。意志決定に関われるのは正規職員だけなのかな。
市民がリクエストもできるらしいけど、どの程度反映されるのだろうか。

そして私は『八本脚の蝶』を買うしかないのだろうか。
プレゼントされるのも嫌だしねぇ。


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