脱ヒキニート体験記4 水中花チャーミング
「あなたに会わせてみたい人がいる」
面談で担当相談員が言った。別に雨琴さんがこれから花屋になるだろうとか思っているわけじゃないけど、ここの社長に会って話を聞いてくるといいと思う。
そんな理由で私はまったく興味も関心も持ったことのない花屋でのインターンを〝二つ返事〟で引き受けることになった。
インターン開始前に担当相談員と花屋に挨拶に行った。特徴を言うとズバリで特定されかねないので書けないけれど、店舗にもユニークな個性のある店だった。
道すがら、高卒で引きこもりになり就職活動の経験がない私はその不安を担当相談員に相談した。
相談員は「雨琴さんは縁で仕事が決まると思う」と言っていた。なんのこっちゃ。とそのときは思った。
インターン初日。緊張を携えながら家を出た。車の走行音が耳障りで、聴覚が過敏になっていることを感じた。
電車に乗って花屋のある最寄り駅までついた。30分以上早い。挨拶に行ったときは相談員が同行してくれたけれど、今回は一人で訪ねなければならない。第一声何と言ったら良いんだろう。なるべく行きたくないけど遅刻するわけにもいかない。うじうじ悩んでいる自分がいた。
とりあえずと駅のトイレに行った。個室に入りベルトを外しズボンを下ろそうと手をかけると、ズボンのバックルの金具が壊れて便器の中に着水した。
頭の中がパニックになった。いや、むしろ冷静になった。
落ち着け。やることを整理しろ。まずは金具を拾わなければならない。拾った上で催しているのだから用を済ませる。
しかる後、水道で金具を洗って、ベルトを修理だ。修理できなかったら? それはそのとき考える。
計画を立ててしまえばあとは行動に移すだけだった。幸いベルトは道具なしで修理可能な程度の破損だったために事なきを得た。
時計を見るとちょうどいいくらいの時間になっていたので、躊躇っているヒマもなくなり結果オーライ。花屋でのインターンが始まった。
ラナンキュラスやバラ、ユリといった花を店頭に出せる状態に手入れするのが主な業務だった。
バラの茎に生えたトゲを一つひとつはさみで切る。ユリの花のおしべをとって花粉がみだりにつかないようにする。
花を贈るという行為自体が誰かへの気遣いなのに、トゲで怪我をしないようにとか花粉で服を汚さないようにとか、気遣いの中にもさらに細やかな気遣いがあることを知った。
そのことを社長に話すと「たとえば絵を描く人からは、ユリのおしべは残しておいてほしいと言われたことがある」と教えてくれた。
事前におしべをむしられてしまうと、自然な状態のユリの絵は描けないからだが、気遣いもまた誰のためのものなのか、相手によって合わせる必要があることを学んだ。
社長は発注の仕方なんかも見せてくれたし、近くの中学校の卒業式用の一輪挿しのラッピングなんかもやらせてくれた。
人によっては「このままうちで働かないか?」的な声がけもあるらしいと聞いたが、私が声をかけられることはないままインターンは終わった。
インターンのラストにミニブーケの作り方を教わった。作ったブーケは持ち帰らせてもらえた。
サポステの担当相談員も駆けつけ、ふり返りをし、サポステの相談員が社長に謝金を渡した。
目の前で謝金のやりとりをされることにさみしさを感じた辺り、嫌儲と言うか、お金を汚いと思ってしまう自分の認知バイアスが見えた気がした。
社長はとてもチャーミングな人で、数日過ごすだけでも大好きになったから、この関係がお金に還元されるものだと思いたくなかったのかもしれない。
私は手先が不器用なので案の定花屋に向いているとは思えなかった。
けれどここでの経験は決して無駄にならなかったというか、無駄にしなかったというか。
花屋のインターンに行ったことは、この後の展開で重要な役割を果たすのです。