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tarostagram
笑い話にしなくていい
深夜ラジオから生きる希望をもらってきた人間としては、「しゃべ前、書く前」というのは何よりの救いで。しゃべる前提、書く前提で飛び込めばどんな経験も話の種として、うまくすれば笑い話のネタとして使えるから、躊躇なく飛び込めるようになるというところはあって。実際私も「しゃべ前、書く前」と心に決めることで一歩を踏み出せたことは何度もあるのだけど。
それでも疑問に思うことは、そんなに笑い話にする必要があるのか。面白話に限らず泣ける話や感動話にする必要があるのかということで。別にただの話にオチをつける必要はない。必ずしもお話としての完成度を求めなければならないとしたら、会話は窮屈になる。
失敗したとか悲しかったとか腹がたったとか悔しかったとか。ただそれだけの報告になっても、ただの日記でもいいんじゃないか。「お話として面白ければ聞く耳持つよ?」って、わざわざへりくだって聞いてもらわなくていい。
笑ってもらっているのか物笑いにされているのかわからなくなるときがある。それでも笑う門には福来たると信じるしかない。笑うしかない話ほど本当は笑えなくて、笑えない話ほど笑うしかない。ユーモアとペーソスが表裏一体である以上、笑顔もまた泣き顔と表裏一体なのかもしれない。泣き寝入りをくり返してぼくらは強くなった。