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嫌いや苦手を克服すること

 ポリコレ的に言っちゃいけないことだから言われないだけで、ポリコレ知ったこっちゃない人からは、今でも素朴に気持ち悪いと言われる。
気持ち悪いって言われても気持ち悪くなくなるわけじゃないし、消えてなくなれるわけでもないし、消えてなくなったところでさらになんか言われるし。
 人間に尊厳がなく多産多死だったらね。
一人ひとりの尊厳を認め合うことにしたからこそ、迷惑かけ合ってでもお互い様で助け合って協力し合えばできることが増えるという希望を得たわけで。

 私の母の言うことなので話半分に聞いてるのだが、ルーツはアイヌ説があって。
私自身もゼノフォビアの傾向があったんだけど、だとしたら私自身にも他民族の血が流れていることになるので、だんだんゼノフォビアの傾向も和らいでいった。
とは言え態度に表出させない程度の苦手意識はあるけれど。

 私の場合のゼノフォビアは外見より言語で、自分の言葉が通じないのではないか、相手の言ってることがわからないせいで不興を買うのではないか、みたいな不安が根拠にある。
『イデオン』でバッフクランに白旗あげた結果全面戦争になったみたいのが怖い。

 言語が通じないという意味では動物も苦手だった。コミュニケーションとれないと思ってた。その認識を改めたのは保護猫カフェの猫さんとの出会いと言語聴覚士が書いた『世界ではじめて人と話した犬ステラ』という本がきっかけ。
療育の仕事をする中で出会ったこの本を参考にして猫と関わった結果、厳密ではないけど動物と言語を介したコミュニケーションはできる気がしてきた。もっと厳密に構造化して訓練すれば、たぶん猫とも簡単な会話はできるんじゃないか。

 高齢者も子どもも動物も言葉が通じないから嫌いだったのに、介護やって療育やって保護猫カフェ行って、彼らとコミュニケーションができてしまったから、もう別に嫌いじゃなくなった。
白いカラスを見つけてしまえば、カラスは黒いという命題にこだわる必要はない。
胸を張って掌を返す。


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