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目がゆるくても

 目がゆるい話の続き。本でもwebページでも字組やフォントは読みやすさのためにあるのだと思う。アートデザインとしてのカリグラフィーとはその点で異なる。しかし誰にとっても可読性が高い、読みやすい字組やフォントって一般化できない。ディスレクシア(難読症)の方を持ち出すまでもなく個人差があるはずだ。おそらくwebブラウザにはレンダリングの段階で個人の好みのフォントに指定できる機能くらいはついていそうだけど。
 賞状の文面に句読点を打たないという美意識などもこの話に通じるのだろうか。谷崎潤一郎の『春琴抄』は大好きな作品だが、句読点という意味ではとても読みにくい異質な本だった記憶がある。私自身も中高生の現代文が苦手だった頃は、一切読点を打たなかった。というかどこに打っていいか正解がわからず、いっそのこともう打たない! というスタンスで作文を書いていた。書くためにはたくさん読まなければならず、読むためにはたくさん書かなければならなかった。
 ディスレクシアの方に限らず魔法の定規的なものを愛用する人は多いだろうし、webページやアプリのCSSとか字組もレンダリングする側で読みやすく指定できたらいいのに。ちなみに私はブログなどで改行が多いと読む気がうすれる派。字がいっぱいつまっててくれた方が読みやすいと感じる。

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