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詩の手ごたえ ーマーサ・ナカムラ「雨をよぶ灯台」ー

第28回萩原朔太郎賞受賞
マーサ・ナカムラ 「雨をよぶ灯台」
装丁:外間隆史

かなり長い間、詩だけは分からんと思っていた。合いそうで合わないピントに諦めがつかず、引越しで大量の本を手放すと手元に残るのは結局詩だった。分からないなりに、詩のもつ静けさが心地よくて好きだった。でも、今ひとつ自信がない。

そんな中途半端なわたしがようやく「不味い!もう一杯!」と叫べたのが、マーサ・ナカムラ「雨をよぶ灯台」だ。

どの作品を読んでも、同期している体感があった。
同時に、文字から伝わるはずの意味は端からズレて崩れ去り、こちらの全身にありもしない妙な像を照らしだす。その新たに立ち上がる世界の、夢よりザラつく舌触りが、獰猛な波の兆しが、静寂の違和感がつけた変なシミが、ひたすらに好みだった。

初めての手ごたえだった。
今はなき八重洲ブックセンター横のスターバックスでこの詩集を読んだわたしは、店内で絶叫したい衝動をこらえた。
もはや誰と分かり合えなくてもいい。たしかに私は、この世界に触れた。その確信がすべてだ。

その後も、同著者の「狸の匣」を同じ興奮のなかで読み、その消えない魔法のような世界に改めて震えた。「マーサ・ナカムラ展」や、東京大学での内容盛りだくさんな講演を聴きに行ったりもした。どれも本当に楽しかった。
(ちなみに、描かれる世界を「異界」と称されることが多いが、私には単に異界とも言い切れないまた別の世界だと感じる。)

マーサ・ナカムラ展
ーもっと変な話をしたいー

それにしても、詩とはなんだろう。
詩は、存在する。
詩は、ことばで表現される。
でも詩の世界は、これ以上ことばが立ち入れない場所にある。ことばの突き当たりからさらに感覚の竿を飛ばして表現を試みる、その先の境地だ。

まだ名前のない地平を、詩は共有可能にする。この認知の広がりは奇跡だ。
そんなことを考えていたら、そのとき目の前で講演していたマーサさんが「共感できたり好きな詩というのは、友人ではなく親友だ。」とおっしゃった。

この手ごたえは、夢ではなかった。
そう勇気づけられた瞬間だった。

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