国際ヨガデーに思うこと
今日は夏至で国際ヨガデー
夏至は1年で最も日が長く、太陽のエネルギーが強まる時。
太陽大好きな私はこのエネルギーにあやかろうと、どこで日光浴をしてどこへ参拝に行こうかななんて少し前からふんわり考えていたけれど、息子の体調不良により家にいます。
ま、それもありかなって思ってる。
絶対こうしたい!!という執着のような気持ちはもういつかどこかへ置いてきてしまったようにも思う。軽くて丁度良き。
というわけで我が家の観葉植物を日光浴させてあげて、玄関を磨き、トイレを掃除し、洗面とお風呂を磨き、部屋の掃除器をかけ、顔ヨガやラジオ体操の宅トレをして、近所へお散歩がてら買い物に行って、といつもの日常を送っている。
平凡な日常がいいよね。この平坦で穏やかな時間を愛でられるようになったことは幸せなことだなとちょいちょい思います。
今日は氏神様への参拝はしなかったけど、またすぐに伺おうと思ってる。
さて、国際ヨガデー。
例年この日を特に意識しているわけでもないのだけれど、周りにヨガをしている人も多いし、インスタでもヨガ関係の人を沢山フォローしているので自然と気が付くようになってる。
私は自分がしんどい時にヨガに救われたひとりです。
適応障害だと産業医の先生に診断されて休職をしていたとき、眩暈とめくるめく不定愁訴の日々で身体も心も鉛のように重くてしんどかったあの時期、近所のヨガスタジオに訪れた当時の私にグッジョブって言いたい。
そこで出会ったヨガの先生がとっても良くて、ここへ来ると身体が少し楽になるなって思って毎週通うようになった。
ラッキーなことに宣伝を全くしていなかったらしくそんな素晴らしい先生のクラスをほぼプライベートで受けていて(ほぼ、というのは経営者の女性も一緒に受けたりしていたから)
アンラッキーなことに、その教室は2ケ月弱で突如終わってしまった。
そのおかげで私はヨガをもっと深めるべく友人に紹介してもらったヨガスクールに通うことになり、休職していた期間、週2-3でスタジオに通ったり、TTのクラスを受けたりして、すっかりヨガが私の人生に定着したのでした。
TT受講は私にとってとても大きくて。ヨガの哲学にも助けられたし、実際のアーサナで身体の使い方を身体で感じて知ること、解剖学を学ぶことで身体をもっと理解できる気がしたこと、6時間という毎回の授業を耐えられたこと(まだ心身共に完全復活には遠い状態だったから)
そんな諸々を通して心と身体、両方に筋肉がついてきたぞという実感と少しずつ日常への自信を得ることができたんだった。
おまけにスタジオの気もすごく良くて、そこへ訪れるだけで気分が良くなる感覚もあって私に沢山のプラスのエネルギーをくれた場所。最後の卒業の時に私は自分にとって最もホットなトピックであった「自律神経」についての論文を書いたのもいい思い出。
それまでヨガはスポーツクラブ的な存在で、しばらく通ってはまたやめてみて、また他のスタジオへ行ってみて、もしくは単発でイベントに参加して、という流れを何度かしていた記憶があるから
「ここに通いたい!」「ここで学びたい」とこんなに心が動いたスタジオは初めてだった。体調不良になったことでこうしていい出会いもあったんだよね。
あれから7年かな。今でもヨガは私の日常に溶け込んでいるし、通うスタジオは家の近くの方へ変えたけれども、呼吸が身体に巡る感覚を感じる時間、自分が整う時間としての位置づけは変わらない。細くでも長くこれからもずっと関わっていく存在だろうと思う。
国際ヨガデーということで、私とヨガ、みたいなところを振り返ってみた。
身体を動かすことや呼吸を意識する日常は心地よさを大いに助長するなと感じてる。きっと私のインナーマッスルたちも小さく育っているはずだし、これからもヨガとヨガから感じる世界を楽しんでいくよ。
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