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忍たま映画、最高の冬

メリークリスマス!ありがとう松竹!ありがとう亜細亜堂!ありがとう忍たま乱太郎!ありがとう……………

『劇場版忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』を、観た。今のところ、3回観た。

私は高校生時代の約10年前に忍たまにハマり、特に五年生を推していた大・オタクであった。アニメイトへ行ってグッズを買うこと、小説を書くこと、初めての同人誌即売会への参加、コミケ、全部忍たまが与えてくれた経験だ。
全然関係ないけど、大学入学式のためのスーツを買いに洋服の青山に行ったときにも、スーツ選びや試着をそこそこにLINEでオタク・フレンズと忍たま年齢逆転パロの話をしていたような覚えがある(気もそぞろだったわりに高け〜スーツを選んだことを親につつかれ続けた)(年齢逆転パロとは、現一年生が六年生で、現六年生が一年生で、現一年は組が委員会委員長としてちびっこ六年の面倒見てたりしたら、めちゃ良くない!?という、ハナシ)(ニコ……😁)

今はもうすっかり忍たまから離れてしまっていたけど、映画で、土井先生が、失踪!?という情報に釣られて戻ってきました。
リアルタイムでアニメを観ていたのはたしか第21シリーズから2年くらいのことだけど、なんと今や第32シリーズだというのだから驚く。時の流れは早く、忍たまの歴史は激長い。当時でさえ「ヒィ〜ン、20年分の歴史を追うの楽しいけど大変すぎるヨン😂」みたいなことを言ってたはずなのに、そこから更に10年新たに積み重なっているなんて!
私今30歳なんですけど、自分の人生より長く続いてるジャンルの新作映画が観られる世界って…… スゴ!



ネタバレあり感想の、段‼️(備忘録も兼ねているため長いよ‼️)

いつもは「あ〜、観たいけど時間が……」などとグチャグチャぬかしながら結局終映ギリギリに駆け込むタイプなのだが、今回は色々なタイミングがぴったりと合い、なんと公開初日に鑑賞することに成功。

鑑賞後、私はひとり立ち尽くし、頬をピンクに染めてポーー………としていた。

ど、ど、土井先生ってこんな、えっちだったっけ…………

2024年冬の午後、イルミネーションきらめく札幌駅でのことである。

失踪前、慈愛に満ちた目で乱きりしんの背中を見つめていた土井先生の表情のやわらかさ、(本人にそのつもりなしといえ)プロ忍者の尊奈門を煽りに煽り倒しながら余裕で戦う土井先生の身のこなしの軽やかさ、たまごたちのなかで最も実力があり、実際に城への潜入任務なども数多くこなしているはずの六年を圧倒する、天鬼の技の流れるような美しさ………………………なんて強く綺麗な男なんだろう。す、す、すす、好きだ〜‼️‼️‼️‼️

プロの忍者を育てる学校の先生なんだから、当然強いのは知ってるけど………ほへ〜ん………と呑気なツラをした私の顔面に突如叩きつけられる、土井半助という男の、格。強さ。
彼が記憶を失って初めて目の前に滲む、彼の過去。ギャグ漫画というやわらかな綿に包まれてつい忘れてしまうが、彼は戦を知り人の死を知るプロの忍者だった。


土井先生は元々豪族の若君であったが、子供時代に家が滅ぼされ天涯孤独の身になり、その後仏門に入って兵法などを身につけた後にどこかの城で忍者として勤めていた。しかし19歳の頃に任務に失敗、追っ手に追われている際に山田先生一家に助けられ、忍術学園の先生に……という過去は、アニメや原作50巻で説明されているし、私もなんとなく覚えていた(アニメのDVD特典では尼子先生から「実は抜け忍として追われていた」と説明されていたらしい)

冒頭の、串刺しにされていたり、女物の着物を着て倒れている案山子の映像に繰り返し挟まれる彼岸花の映像。赤ん坊の泣き声と同時に映る、手のひらに溜まる彼岸花の花びら。
子供向けアニメの比喩にしてはずいぶん直接的なこれらを、私は最初、土井先生が生家を失ったときの記憶なのかな〜と思っていた。土井先生が奪われたときの記憶。

でも、3回目にしてようやく心落ち着けて見られるようになり、天鬼が記憶を取り戻すシーンを見たときに、ああ、あれは土井先生が昔、業として他人から奪わねばならなかったときの記憶でもあるのか?と、思うようになった。

生家が夜討にあったときの記憶であるなら、平民の男らしい服を着て刺されていたあの案山子たちは何だ?女の着物を着た案山子を土井先生の母と解釈することはできても、その直後の赤ん坊の声は?
仮に土井先生が赤ん坊の頃に母が殺されたという映像であるなら、一人称視点で描かれる「手のひらに溜まる彼岸花の花びら」には違和感がある。
あれは、土井先生が泣き叫ぶ赤ん坊を尻目に母親である女を殺し、その血溜まりをすくって、何かを思っていたときの、映像なのでは?

天鬼が記憶を取り戻すシーンでは、たしか彼岸花の花びらが手に乗っているシーンから、暗闇でもがきながら一点の光へ走るシーンへ変わり、そして山田伝蔵一家に出会い、まだ一年生だったころの現六年生たちと出会い、今の一年は組と出会う映像へ続く。
暗闇でもがいていたのは苛烈な任務を強いられていた雇われ忍者だったころの土井先生で、その先の光は山田伝蔵一家との出会いから始まる、彼の穏やかで暖かくやわらかな、新しい人生なのでは?

天鬼が纏う冷ややかな空気。容赦のない技。細められた目。抑揚のない声。この世の全部に絶望したみたいな彼が、山田先生一家に出会えなかったifの土井先生なのか、と思う。奪われたことに対して奪い返すことばかり強いられていた彼が、無償のやさしさを与えてもらった結果が、土井半助になるんだ。

まあまだ3回目なので、記憶違いで色々勘違いしていたら恥ずかしいのですが………😄




私は映画鑑賞後に初めて知って大急ぎでアニメを見たのだけど、実は土井先生の「土井半助」という名前は本名ではなく、追われている身として人に名乗ることもできないままに忍術学園に入り、名も無き「若い人」と呼ばれている彼を見かね、山田先生が「半人前だから半助だ」と名付けたものであった……そうだ。

そ、そんなの、そんなの、すごいじゃん‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️

天鬼が記憶を取り戻したときの
「私は、一年は組教科担当担任、土井半助です」
という名乗りの重みがすごい。
19歳就職、現在25歳。彼はまだ6年ぽっちしか土井半助という人生を生きてないのに、その6年の記憶を取り上げられたというだけで、あんなに暗く冷たい雰囲気の人になるんだ。

ていうか最後、土井先生が「土井半助」を取り戻した瞬間に駆け寄ってき て
「土井先生!………

お兄ちゃん…よかった」


をぶちかまして来る山田利吉とかいう男、ヤバ&スゴ。
利吉はさ〜〜土井半助がまだ土井半助じゃなかったころを、知っているんですね。土井半助が誰の先生でもない、自分だけの「お兄ちゃん」であったころを知ってる。利吉ももう立派な大人で、対等なプロの忍者になったから今は「土井先生」と呼ぶけども、本当は利吉にとって彼はいつまでも「お兄ちゃん」なんです。
……え!?19歳忍稼業の男が25歳忍稼業の男に「お兄ちゃん」!?ウ、ウー!!もしかして本当はずっとそう呼びたかった……とか!?その、あの、なんか急に欲っていうか、生(なま)っぽいの、なんなんですか?

おかしくなりそうだった

あのね〜〜わたし、山田一家に保護されていたころの土井半助(仮)がチビ利吉に「お兄ちゃん」と呼ばれてたのが公式だったこと、鑑賞時は知らなかったんですよ。むちゃくちゃ焦って調べてすぐにアニメ該当回を観たの。なぜならマジであそこのシーンで明らかに劇場の雰囲気が変わったから。
しかし「思い出した手当の段」を見てあの異様な雰囲気にも納得。そりゃそうなる。

にしてもあまりに急すぎる「お兄ちゃん」に
これ、""裏""の誰かの性癖が露出されていないか???????
と気恥ずかしい気持ちになったりも一瞬したのだが、後日30期「鍛錬の始まりの段」を見て確信。尼子先生のヘキは「お兄ちゃん」なのだ(勝手なこというな〜!!)(でもマジでそうだと思う〜!!!)

まあそんな話は置いといて、映画のあの場の土井先生にとって、きり丸やは組の皆に「先生」と呼ばれ無事を喜ばれるのと同じくらい、利吉に「お兄ちゃん」と呼ばれるのは、嬉しかっただろうなあ!と思うのです。そりゃ嬉しいよ。土井半助になるきっかけの子が、プロの立場を置いて危険を犯して助けに来てくれるくらい、まだ慕ってくれてるってわかってさ………

私もこの顔だった。


たまごとプロの差とか、六年生とか

プロ忍(忍術学園教師、雑渡など歴戦のタソガレドキ忍者)>プロ忍(利吉、尊奈門)≧プロ忍(新キャラ先輩方)>忍たま(六年)
という、忍者間の明確な実力差がしっかりと示されていたのがすごく良かった。忍たまたちが大人たちによってどれだけ守られ生かされているのか……改めて沁みる。あと忍たまを守る側の男として雑渡昆奈門がいることにも、本当に、脳が痺れる。

忍者のたまご=忍たまといえど、六年生ともなればもうすっかり一端の忍者で、城への潜入任務経験も戦闘経験も詰んでるんだからほぼプロみたいなもんで………………なんて私の認識を嘲笑うように圧倒的力量差で蹴散らされていく六年生の姿。お前らはしょせん卵なんだよ(血まみれ)!!!!!!
とはいえ、そのへんで安い金貰ってるだけの雑魚忍者よりは六年生たちのほうがよほど優秀である、というのもしっかりわかる。

私は、町での聞き込み結果から土井先生はドクタケ忍者隊詰所にいるのでは?→よし、行ってみよう→土井先生がいるのかを優先で調べて、できれば奪還までやろうぜ
という一連の判断と行動を、あくまでまだ忍たまである六年生が独断で行えることにかなりびっくりした。いくらドクタケとはいえプロの忍者の本拠地に、学生六人でカチコミ……!?!?これまでのすったもんだでドクタケの正確な戦力をある程度把握しているにせよ、怖すぎ。15歳の6人組って普通に中学生の修学旅行のグループ行動とかと同じじゃん。京都ってバス多すぎ〜どれ乗ればいいの!?てだけで右往左往し瓦解する集団であるはずじゃないの?

結局想定外の存在であった天鬼に歯は立たなかったものの、的確な撤退判断によって今回の第一目的であった「土井半助の安否&行方」に関して、誰も致命傷を負うことなく特大の情報を持ち帰っている。諸々条件は違うにせよ、タソガレドキや利吉すらまだ得られてなかった情報を彼らが先に得たのだ、そもそもそれが忍びの本分じゃないか!と考えると、六年生って本当に……すごいんだ!!!!!!!泣

でも天鬼が土井先生だとわかった瞬間の皆の気の緩み、とくに文次郎のあの(やっと呼吸ができる)と言わんばかりの表情を見ると、六年生ってまだ………たまごなんだ!!!!!!泣

文次郎は終始やさしい男だったね。聞き込みの仕方を変えるべきだ、のくだり、本当は彼だって留三郎くらい長次くらい感情を顕にしたかったに違いない。けど現在集まっている情報がそれを許さない。まだ生きているはずだ、という希望的観測で無駄に時間を使っている余裕はもう、ない。
だってもし死んでるかもなら、遺体を早く回収しないと。遺体の腐敗は人を待たない。
誰かが悪者にならなきゃ前に進めない状況で、一番にそれを切り出せる男が文次郎であり、それを後押しするのが仙蔵だというのが、本当に、よかったなあ……。

あと小平太    小平太ね    アンタが一番冷静だった今回   アンタすごかったわよ   何周か回って色気が出てた    アンタもananの表紙になりなよ    黒スーツの胸元がっぱり開けて無表情で写真撮られなよ    

小平太って同じ職場にいたらたぶんすげ〜苦手なタイプなんだけど(だって声デカいし、デリカシーなさそうだし、体育会系すぎるし)、実は仕事が激荒れしたときに一番落ち着いて「んじゃ、まずここから片すか!」って仕切ってくれるのは七松さんだし、いちばん仕事が早いのも七松さんなんだよなあ。

あと飲み会のときマジで浴びるように飲むし声でかくてうるさいんだけど悪酔いしてるのは見たことないし、お酒をそんなに飲めない後輩がまだかなり中身の残ってるジョッキを手にしばらく口をつけずにいるのを見たときに「ん!何飲む!?」ってさり気にソフトドリンクの面を表にしてメニューを渡してあげたりすんのとかも、七松さんだしね、実は。

「えー!あんた、いつも七松さんのこと苦手苦手言ってるくせに結構見てんじゃん!本当は好きなんじゃないの!?」

え……………たしかに……わたし…………もしかして………


七松さんとわたし第一話   完

六年生対天鬼の戦闘シーンに関してはちょっと速すぎて一切目が追いついていないので、伊作が髪の毛ばっさりいかれてたことにすら3回目でようやく気が付いた。よく見たらそのあとずーっと伊作の髷、短いんだね。終始「全部の攻撃でしっかり首を狙ってくる天鬼怖すぎンだろ」と思っているうちに終わっていた。次は目を2個増やしてから観に行く。


ていうか 顔

土井先生ってむっっっっっっちゃくちゃ顔が、かっこい〜〜〜!?!?!!?!?!?!!!!
「六年生の皆、怪我させてごめんねえ〜!」のときのあの困ったような笑み!天鬼のスっと目を細めた表情も好きだけど、困ったような笑みこそが土井半助の真骨頂であるのだよ。私は土井半助を困らせたい。私も果たし状を叩きつけるべきか。

土井先生はいつも余裕たっぷり穏やかに笑んでいるイメージがあるけど、仕事モードのときにスっと無表情になるのが印象的だった。崖から川に飛び込むときの表情むちゃくちゃ""無""じゃなかった?まあ一人で川に飛び込む時に微笑んでたらそれはそれなんだけど、たった今崖からものすごい落下して、さらに今から川に飛び込むぞ〜ってときに力みが一切なく無表情なのも……怖いんだ
逆に、私たちがふだん見ている土井先生の顔は「土井先生」としての顔なのだなと思う。土井先生にとっては、しつこく果たし状を出してきては真剣(ガチの刀ということ)で挑んでくる他所の城のプロ忍者ですらピヨピヨのヒヨコで、慈愛をもって接するべき相手なのだ。尊奈門との果たし合いのときの「自分で仕掛けた罠に引っかかった…?いや、罠か」のときの顔、余裕綽々いたずらっ子お兄ちゃんの顔でかわいかった。おめー皆のお兄ちゃんかよ!利吉くんが怒りますよ。(お兄ちゃんは僕のお兄ちゃんですよ!😡)(←これ絶対言ったことある)

五年生

最最高の最の高🎶🎶🎶🎶🎶🎶
わたしは五年推し、の中でも特に鉢屋と尾浜を推しているのですが、あれは、なんかもう、言うこととかない。
任務に飽きて寝転がる鉢屋を責めるでもなく「もう三日目だもんなあ」と笑うのが尾浜、そしてすかさず鉢屋の興味を惹く話題を提供し、動く道へ誘導するのが尾浜、尾浜の提案に即座に乗るのが鉢屋、そうしてしれっと大胆な作戦を成功させる、学級委員長コンビ!尾浜が鉢屋を操り、面白ければ操られることを厭わない鉢屋。
マジでもう、言うことがない。ありがとう。

雑渡昆奈門

お前にも言うことない。嘘。ある。このスケベ!!!!!!!!!!!(大男・低声・作中屈指の実力者・義理堅い・仁義に厚い・忍たま(こども)は可能性だから、と守り育てる意識がある……お前の要素が全部好きさ)
どこまでも忍術学園に甘い男がよ……と見せかけて実はタソガレドキのためなら土井殿(土井殿 呼びも本当に好きさ)を殺すことも厭わない、と見せかけ土井殺しを阻止しに来た若い忍者たちには手加減し、「恨むなら私だけを!」と言い残し去る。全部、好きさ。
雑渡さんが喋るたびに脳の奥が痺れる。

勇気100%のブツ切り

一回目の鑑賞のとき、(おい携帯の電源切ってない奴誰だよ)と思って一瞬ピリッとしてしまった。たぶん前の席のお客さんも同じことを思っていた。左右に顔を見回していたから。
2回目であっ流石に…演出か〜〜!!!と理解し、なぜ?と考えたけど、勇気100%ってあの世界にとっての穏やかな日々とか大団円の象徴であり、それがイントロでブツ切りされるのは、日常を突如奪われること、つまり、死を意味しているのかもなあ、となんとなく思った。

軒下で雪に震えるきり丸の姿を、最初は忍術学園に入る前か、家を失った直後のことなのかな?と思ったりもしたけど、その後忍術学園に入学する未来のあるきり丸の「勇気100%」が途切れるのはおかしいもんね。
あのきり丸は忍術学園に入れなかったifのきり丸の姿なんだ。もしかしたらあったかもしれない仄暗い世界で途切れるイントロ、そこからパッと画面が切り替わって勇気100%が流れ、いつもの忍術学園が映される。きり丸が自力でチャンスを掴んでたどり着いたこの場所で、これからも楽しい日々がつづく!


まだまだ色々言いたいかも。でももう7000字になっちゃった。SASUKEを観ながら書き始めて、気付いたらもうファイナルステージが終わってる。うーん、たのし〜クリスマス。

1月2日が有効期限の映画一本無料券があるので、年内にはもう一度観に行きたいなあと思っている。せっかくの祭り、楽しまねば!

忍たま、サイコ〜‼️




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