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ニノウデの世界

旧友という名の大学の先輩夫婦、とその子どもたちへ会いに、名古屋を訪れる

次男くんはまだ生まれたて、長男くんは私が来るのを楽しみに待っていてくれたらしい

これをあげたら大層喜んでくれて、早速長男くんのおもちゃ遊びに登場させてくれた

ダンダダンを瞬殺していた

ダンダダンだと思ったらダダンダンだった

ダンダダンは漫画のほうだった

ブロック遊びに人形遊び、たくさん
とてもなついてくれて、帰りは手を繋いで駅まで歩いた


子育てしてる人の凄さを思う
そんな覚悟がない

というのを伝えたら

多くの親は覚悟なんてできてなくて、ただ母の役割が生まれたから母になるってだけ、父の役割が生まれたから父になるってだけ、
だって何もしないとこの子死んじゃうから、やらざるを得ないだけ

みたいな話を、

話をした

そっか、なるからなるもんなんだなあ

いままで自分にない考えだったので、勉強になった
と同時にすこし肩の荷がおりる

もう年齢的にきついから選べる立場じゃないかもしれないけど

子どもがいない人生も面白そうだし
子どもがいる人生も面白そうだなあ

というのは一貫して思っている

また、家庭を維持し続けている人の凄さも思う
それもそこにあるから続くだけなのかなあ
それとも多大なる苦労のもとに成り立ってるのかなあ

なんだか
たとえば、ともに人生に立ち向かう戦友でありたい
自分以外の人間の空気がそばにあるほうが、なんだかいい気がする

自分一人だと、よほど達観した人でないと、沼に落ちていく
自分以外の人間の空気が流れているほうが、新しいものが生まれ得ていい

そんな余裕、結婚していたときにはなかったな

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うまくいっている例を見ると、意外となんとかなるのかなあとも思うし
いやいや実際はそんな甘くない、苦しい道のりなのだ
とか思うべきか?とも思う

大丈夫か、こんなんで

悩むタチだから、これからも悩み続けるんだろうな
なぜなら悩んでいる自分が嫌いじゃないからです

悪趣味だ

つねになにかに、あってるか間違ってるかと怯えて生きていくのも違うし
自分本意だけで生きるのも違う
バランスが難しい
そんなことみんな思ったりしないだろうか

頼りないんだよな、自分って。

その夫婦の、だんなさんを見てめっちゃ父!
おくさんを見てめっちゃ母!
と感じた

わたしも何者かになったりするのだろうか
何者にもなりたくないかもしれない
自分は自分であり続けたい

そういうタイプの恐怖がある

あります。

さくらももこの「そういうふうにできている」をバイブルにして生きていきたい

と思います。

じゃあね。



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