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次なる統治機構改革(1)

プロローグ:とある報道について思ったこと

先日、こんな報道があった。
https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/900000986.html

私は「政府が大学授業料無償化」という話を何かで読んで、ようやく政府も少子化対策に本腰を入れ始めたか、と思った(なお、私は少子化の背景には経済的な側面以外の要因が大きく働いていると考えており、したがって経済的な側面にしかアプローチすることのできない国による少子化対策にはあまり期待していない。この点については別の機会に議論したい)のだが、よく読んでみると、制度の支援を受けるためには「扶養に入る子どもが3人以上」という条件がついていた。例えば、3人きょうだいの第一子が大学を卒業して扶養を外れると、第二子、第三子ともに支援の対象外となる。
「大学授業料無償化」という言葉から受ける印象とはギャップがあるように思われた。現に、このニュースを見たとある知人は、こうした状況に対して不満を露わにしていたのだが、その反応に頷けるところが無いわけでもない。

政府がなぜこのような条件を付けたのかについて、政府の目線にできる限り歩み寄ってみると、元々念頭に置いていた支援対象が、「大学授業料無償化」という言葉からイメージされる範囲よりも狭かったのではないか、ということが考えられる(マーケティングの世界では普通、商品を売るために市場を細分化してターゲットを絞るが、政策も同様である)。
すなわち、元々この制度は、「理想の子どもの数が3人以上」で、かつ「子育てにかかる費用が重たい」と考えている世帯の「少なくとも一人分の大学授業料に係る負担を低減」することを意図して作られたのではないか、という推測である。そのように理解すると、「場合によっては一人しか無償化の対象にならない」という制度設計も、そこまで変ではない。
他方、そのような意図があったとしても、「扶養から外れた子どもの数をカウントしない」という設計にした理由は、依然として思い浮かばない。これだと、3人きょうだいの年齢の差によって、受けられる支援の内容が変わってしまうので、はじめから「3人きょうだいのうち一人を無料にする」とか、一律で500万円を支援するとかいった設計にしたほうがわかりやすいし、公平であるように思われる。

さて、真偽の程を明確にしようがない推測はこの辺りでやめておくが、個人的には、子ども家庭庁か文部科学省の職員が知恵を絞って作ったであろうこうした政策が、結果としてわかりづらい形で世の中に出て行き、国民の理解を得られずに叩かれてしまうことを、残念に思う。担当課の職員は、国民と国家のためになる制度を作るために多大な労力を割いたはずなのに、その意図が国民に届く前に、どこかで捻れてしまっているのである。

政策過程と省庁関係

日本の政策過程においては、中央省庁同士の力関係で政策が決まる場面が非常に多い。それぞれの省庁が持つ力は、制度によって担保され、他の省庁に対して行使することのできる専権的な権限(例えば、予算や税であれば財務省、外交であれば外務省、条文策定であれば内閣法制局に政府としての最終的な判断権限があり、他省庁が予算や外交、法律を必要とする政策を行おうとしたときに、これらの省庁の合意を取らずに進めることは制度上不可能となっている。こうした権限は各省庁の設置根拠となっている法律に定められている)や、それぞれの省庁の背後にいる利益団体や国会議員の力をベースにして決まっている。
翻って、冒頭の問題である。育児政策の責任省庁である文部科学省や厚生労働省は、伝統的にこうした省庁としてのパワーが弱い。なぜかというと、これらの省庁は数多くの制度を所管しているものの、これらの制度は所管する業界を規制するものであり、制度を通じて他省庁にレバレッジを働かせることができない。また、これらの省庁の背後にいる利益団体は労働組合(すなわち、文部科学省であれば日教組、厚生労働省であれば連合)であり、これらは野党の支持母体であるから、与党に対する影響力が乏しい。立法府で力を持っているのは与党であるから、国会議員を通じて他省庁に対して有する影響力も弱いのである。
こうした省庁は、他の省庁がパワーを持っている政策領域(今回の場合で言えば、財務省がパワーを持っている予算配分に関わる政策領域)において、思い通りに政策を決定することは非常に難しい。結果として日本の少子化対策に係る予算措置は、伝統的に貧弱なものになっているのである。逆に、日本の育休制度は世界的に見ても高度に発達しているとされているが、これは、育休制度を拡充しても国の支出が少ないことと無関係ではないと考えられる(※)。
すなわち、厚生労働省は、予算措置でもって育児政策を推進することは歴史的に難しかったものの、予算措置の必要性が少ない政策領域(他省庁の権限による制限を受けない領域)においては、他国にも遜色ない水準で政策を実行してきたということである。
(※)育児休業給付の財源は雇用保険料(事業主と労働者が折半して負担)と国費によって賄われ、現状、国費負担は1/80となっている。足元、これを1/8に引き上げる議論がなされている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d78144ba03098c970145337768d8f1ba2dcab51

直近の統治機構改革の経緯

改革の背景

さて、仮に国民と国家のために政策を作り実行することが省庁の使命であるのだとすれば、省庁間の力関係によって本来取るべき政策が決められないという状況は、まさしく本末転倒であり、省庁の存在意義に関わる深刻な問題である。1990年代以降に加速した統治機構改革は、こうした状況を改善することを一つの狙いとして進められたものである。
統治機構改革は政治及び行政の両面において進められた。政治に関しては、55年体制を打破し二大政党制を確立することを大きな狙いとして小選挙区制を導入したのであるが、同時に、小選挙区制の導入によって、政治家にとって選挙における政党の公認の有無を自身の当落に関わる死活的な問題とすることで、党としての公認権を持つ党執行部に権力を集中させるという効果も期待された。行政に関しては、省庁再編を行い内閣をスリム化した上で、内閣総理大臣を直接サポートするための行政機関として内閣府を設置し、内閣官房の機能も拡充することで、内閣総理大臣がトップダウンで政府としての意思決定をしやすい環境を整備することを目指した。
内閣総理大臣は同時に与党の党首であるから、政治と行政の両面における改革によって、一人の人間に、党首としても内閣総理大臣としても権力を集中させ、国としての意思決定をトップダウンで進めることができるようにして、上述したような「省庁間の力関係によりあるべき政策決定ができない構造」を打破することが期待されたのである。

改革の結果

さて、政治面の改革は、党による公認権の発動による執行部への権力の集中という、意図した通りの結果をもたらしたのであるが、問題は行政側の改革である。確かに省庁再編は実施され、府省長の数は23から13へと大きく減少し、内閣府が設置されたのであるが、当初期待されたような、内閣総理大臣のトップダウンに基づく政府としての統一的な意思決定という目標は、不徹底に終わっている。
大きな理由は、内閣府に期待された「省庁間の利害対立の調整」という役割が、十分に機能していないからである。省庁の数が減少して、内閣総理大臣と各省庁の距離が近くなっても、設置法に基づき各省庁が持つ権限が変更されたり、内閣府に移譲されたりすることは基本的になかったし、政策立案に必要な人的資源やこれに付随する情報やネットワークは、当然のように各省庁に留保された。日本政府は各省庁ごとに採用を行い、人事権も実体上は各省庁の人事当局が握っており、各省庁の職員は所属する省庁の中での長期雇用を前提としてキャリアを形成していくため、各省庁が保有する情報やネットワークが各省庁の外に出ていくことは少ない。
内閣府も独自に職員を採用しているものの、政策対象となる業界や国民生活の現場に直接に接する機会は限られており、政策立案に不可欠な情報やネットワークを得るに至っていない。こうした状況を補うために、内閣府の各部局には、担当する政策に関連する省庁から職員が出向することが一般的であるが、上記の通りこれらの職員は自身を採用した省庁の中での長期雇用を前提としてキャリアを形成するため、出向先においても各省庁の代表者として振る舞う傾向にある。
また、内閣官房の機能強化の一環として設置された内閣官房副長官補室も同様に、各省庁からの出向者がそのポストを占めることとなっている。内閣官房は独自の職員採用を行なっていない。
結果として、内閣府や内閣官房が各省庁の利害を調整し、政府としての統一的な政策決定に寄与することは難しい状況となっている。

官邸主導の実像

さて、政治面での改革が一定の成功を収め、強大な力を掌握した与党との党首と、政府全体を統一的に運用するための強力な事務局を持たない内閣総理大臣を同一の人格が兼任することで何が起きたのか。
与党の党首を中心に一定の統一的な意思を持つようになった政治と、依然として分権的な性格を持つ省庁の意思が相対したときには、当然、前者の意思が各省庁の意思に優越することになる。すなわち、分権的な中央省庁が各々の関係する業界の個別最適に基づいて自由に政策を決定し実行できるという構造は、こうした状況のもとで打破されることとなった。
これは、国としての集権的な意思決定が可能になったという意味では、大きな進歩であろう。しかしながら、問題は政策の中身である。トップダウンで物事が決まるようになったと言っても、意味のある政策がなされていなければ、例え個別最適であっても、その政策に関係する個々の領域においては意味のある政策がなされていた時代のほうが良かったということになるかもしれない。
政策というものは、国を取り巻く国際環境や経済状況、そしてそれに関わる個々の利益団体の利害、更にはそれらの裏側にある言語化の難しい文化的な背景などが渾然一体となった、複雑極まりない「社会」と相対し、これに作用するという、極めて高度な営みである。したがって政策を立案し、実行するためには膨大な情報を集め、これを分析し、組み立ていくという作業を必要とする。こうした作業には当然ながら、それ相応の人的資源が必要である。
こうした役割を担うことができる組織は、現在の日本において、残念ながら省庁を措いて他に存在しない。海外では政治家が個人的に抱える政策スタッフや、産業界のサポートを受けたシンクタンクがこうした役割を担っている例があるが、日本ではそうした状況が整っていないためである。
こうした状況の中で、集権的な意思決定が可能となった政治が省庁に対して圧倒的な力を持つようになった結果、省庁が国全体の方向性に関わるような重要な政策決定に関与できる領域が狭まっているのだとすれば、国の重要政策を決定する場面において、日本の統治機構は、膨大な情報を処理しながら意味のある政策決定を行う能力を低下させている可能性がある。
第二次安倍内閣以降の自民党政権は、こうした状況を意識してか、内閣総理大臣を中心とする政策決定の場において、省庁の職員を重用するようになっている。しかしながら、内閣総理大臣を中心とする官邸幹部がいかに省庁の職員を自身の政策スタッフとして活用しようとしても、そのような試みは、少数の官邸幹部の属人的な人間関係の延長とならざるを得ない。結果として、政策決定に関与することのできる省庁の職員の数は、政府全体で雇用される省庁職員のうち、極めて限定された人数でしかなく、上記述べた省庁に期待される役割を担うだけの規模になることはない。
このように、集権化された政治の力を背景として各省庁に優越する立場にある官邸幹部を、ごく少数の省庁職員が支えている今の状況は、一般に「官邸主導」と呼ばれている。

次なる統治機構改革

さて、現在の統治機構のあり方の問題点を述べてきたが、例え政治の側においてのみであっても、国としての集権的な意思決定が可能となった今の統治機構のあり方は、個別最適に立脚して政策が決定されていた官僚主導の時代と比べれば、一定程度進歩した形であると言える。現代の日本において、予算や経済力、人的資源といった政策資源は、山積する課題の全てに動員できるほど潤沢ではなく、課題に優先順位をつけて重要なものから対応することが不可欠だからである。
したがって、これまでの統治機構改革の成果を否定するのではなく、その成果を所与とした上で、国全体として対応することが求められるような重要政策の決定が必要な場面において、豊富な情報に基づいて意味のある政策を立案し、決定することができる環境を作り出すことが必要である。
そのためには、内閣総理大臣を中心とする官邸幹部を支える行政職員を、各省庁の人事制度とは切り離した形で組織的に確保することが不可欠である。そうしたことが可能となるような統治機構のあり方を検討すること、それが次なる統治機構改革のあるべき方向性である。

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