パナヒ監督「ある女優の不在」 観た
好きです。何が好きなのかわからないけど好き。
イランの女性の生きづらさ(というか抑圧)をテーマにしている直球の社会派作品で、正直、差別とかアイデンティティとか、そういう作品にちょっと飽きているんですが。
にもかかわらず、面白かった。なぜ。
(批評的な視点での解説は公式サイトが丁寧にしてくれています。http://www.3faces.jp/)
単純に映像が美しくて、そして主役の女優の存在感がすごい、というところの面白さもある。でも、ディテールが小さな因果関係を作って話を駆動しているところが、観る喜びにつながっているのかもしれない。
イランの有名女優ジャファリに向けたメッセージとして撮られ、パナヒ監督に託された自撮り映像。テヘランの芸術大学に進学したものの、家族に裏切られて田舎の地元で結婚させられてしまうことに絶望した女優志望の大学生マルズィエの自殺が映っている。
監督と女優ジャファリは、監督の出身地方でもあるイラン領アゼルバイジャンの村に向かう。
女優として活躍する・活躍した・あるいは志望する女性3人を描いた映画であり、フィクションながら3人は実名。イランを代表する人気女優が本人役で出てくる。
主要人物は全員実名で本人役として振る舞う。車内のカメラの位置を固定して撮るやりかたがドキュメンタリーっぽいのか、多分すべて演出なんだろうと思いつつちょっと迷わされる。
一見話の筋に関係のない細かなやりとり(支払いのやりとり等)が多いことが映画にリアリティを与えているようでもあり、でも墓所に寝転がる老女の話とか、「リアルな物語」として見る観客をからかうような挿話が差し込まれてもおり、そんな挿話がイランの旧弊を揶揄する瞬間もあり。
うまいですね。セリフのないシーンでの手の表情で機嫌がわかるとか、なんてことないシーンもディテールですし詰めにされている、というのか。
訳わかんないことを言うのは全員男で、地方社会で男たちの陰にいざるをえない女性たちは大概まともっていうのも弩ストレートではある。男たちの表情は往々にして強ばっている。
(ちなみに、パナヒ監督はマルズィエの捜索の過程では同行者ジャファリに対して行動の主導権を控えめながら握り続けていたが、女優3人が邂逅した夜に、シャールザードの家の中での団欒に入れずに車中で寝ていたあたりからは、問題の解決者としての地位を手放して、車を回す傍観者になっていっていく。)
都会と地方農村の価値観の対立もあり、その一方で、それを繋ぐ映画・テレビドラマの役割も描かれているようでもある。
女性が俳優となって地方共同体を離れることを忌み嫌い、リベラリズムと戦いながらも、都市の発する娯楽を楽しんでしまう。(浮薄した暮らしを軽蔑しながら、息子の割礼の包皮を"男らしい"映画スターに託そうとする。それは都会の作った虚像ではないのか?)
そういう二重性というか矛盾というか、一筋縄ではいかなさ。
行きはすんなりと通れた道が、帰りはなかなか帰してくれない。入れ違いで村に向かう牛たち。
同監督の「人生タクシー」は観ていて、これでイランの映画は4本目。
イランの風景も好きなのかな。
アゼルバイジャンの山がちな乾いた土地柄も、斜面を生かした映像の美しさに繋がっていると思う。鳥の声もよく聞こえる。
カンヌ・ヴェネツィア・ベルリン映画祭の常連であり、抑圧的な国内で自由を求める映画を撮り続けながらも、それでも伝統音楽を使い、旧態依然とした辺境の故郷で有名人として好意的に受け入れられ、一方で罵られる自分も描く。(登場人物の多弁や脱線自体もイラン的なんじゃないかと思う。)
監督自身も二重性を宿している。まあ、それがふつうではあるけど。